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ケツァルコアトルとは?アステカ神話の文化神について知ろう

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ケツァルコアトルは?アステカの文化神について知ろう
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ケツァルコアトルとは?アステカ神話の文化神

ケツァルコアトルとは?古代アステカの文化神

ケツァルコアトルとは?古代アステカの文化神

「ケツァルコアトル」とは、主に中米アステカ文明で崇拝された神です。「アステカ文明」は1428年頃から1521年まで北米のメキシコ中心部で栄えた文明です。ケツァルコアトルをモチーフとする像や彫刻が、メキシコ各所のピラミッドや神殿に数多く残されています。

ケツァルコアトルは遠い昔に天から下りてきて,人類にトウモロコシなどの農耕を教え、すべての文化,知識を与えたと考えられています。つまりケツァルコアトルは、人類に文明を授けた文化神であり、農耕神でもありました。また風の神、金星の神などといわれ、多様な神格をもっていました。

アステカ文明では、宇宙生成に携わったともされています。さらに、ケツァルコアトルは変幻自在の神とされており、その中でも二つの姿が言い伝えられています。一つは「羽毛の生えた白い蛇」です。ケツァルコアトルの、そもそもの名前の意味が「(ケツァル)ヘビ(コアトル)」であり、ウロボロスという古代を象徴するへびの化身ともいわれています。

そしてもう一つが「白い肌の人間」でした。人間の姿では白い肌の端正な美男とされています。ケツァルコアトルは羽毛の神として描かれることが多いですが、絵文書などでは、人間の姿で描かれることもあるのです。

マヤ神話でのケツァルコアトル

マヤ文明におけるケツァルコアトル

マヤ文明におけるケツァルコアトル

同じ中米の文化のひとつに「マヤ文明」があります。マヤ文明は、紀元前3000年から16世紀頃まで、メキシコ南東部グアテマラベリーズなど、いわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明です。2012年12月21日人類滅亡説を予言したことで有名となりました。上記のアステカ文明が誕生するのは13世紀になってからですので、アステカ文明より長い期間にわたって栄えた文明といえます。アステカ文明はメキシコの中心部で栄えた文明であり、マヤ文明と近い地域とは言え、両者は民族的にも違いがありました。

そのマヤ文明においても、ケツァルコアトルは「ククルカン」または「クグマッツ」という名で呼ばれ、信仰されていました。ユカタン半島北部の「チチェン・イツァー遺跡」には有名なククルカンの神殿が残されています。

 

ケツァルコアトルの逸話

ケツァルコアトルの逸話

ケツァルコアトルの逸話

ケツァルコアトルには様々な逸話が残されています。「五つの太陽の神話」の中では太陽神としての逸話も残されているといいます。では、どのような逸話が残されているのか詳しく見ていきましょう。

人心犠牲をやめさせた逸話

ケツァルコアトルは、岩を持ち上げ、さらには岩に手を当てて、破壊する程の怪力を誇り、力強さを持つ一方で、心やさしく平和を愛する神として親しまれていました。心優しいケツァルコアトルは人身供犠をやめさせた逸話がある。

アステカ文明の恐ろしい儀式と生贄について

アステカ人は、神々から恩恵を受けるために、人々を虐殺し生贄にしました。太陽が滅亡しないように、太陽の神様には、生きた人間をささげないといけないと考えていて、ピラミッドの屋上で、生贄にされた男の胸を、黒曜石の刃物で切り裂き、生きたままその心臓を取り出して、太陽神に捧げていました。

テスカトリポカ」の祭りと称して、太陽に命をささげる祭りが催されていたといいます。テスカトリポカとはアステカ神話の主要な神の一人であり、ケツァルコアトルと兄弟神とされた神です。太陽に命を捧げる祭りは毎年行われ、その犠牲者の肉は、儀式が終わると貴族たちに食されていました。

 

人身供犠をやめさせようとしたケツァルコアトル

当時から、この儀式に不満を抱いていた人もいたようで、対立する考えの神も崇められていました。その神がケツァルコアトルです。ケツァルコアトルは上記で紹介したアステカ文明の人身供犠に反対していたといわれています。そしてやめさせようとしました。

ところが、人身供犠を好む神テスカトリポカの恨みをかってしまいます。そしてアステカの地を追放されてしまうのですが、このとき、罠として用意されていた、呪いのかかった酒「プルケ」を飲んでしまいます。そして、ひどく混乱したケツァルコアトルは、自らの妹であるケツァル・トラトルと肉体関係を結んでしまったといいます。そのことを咎められ、アステカを追い出されるのです。

この混乱時の逸話には、妹と関係を結んでしまったという逸話以外にも、様々なものが言い伝えられています。

自分の宮殿を焼き払ったケツァルコアトルは、財宝を埋めた後自ら生贄となったと言われています。

一方では、金星に姿を変えて天に逃れたとも言い伝えられ、ケツァルコアトルは金星の神とも言われるようになりました。

または、財宝を埋めた後に、「自分は一の葦の年に帰ってくる」という予言を残し、火葬された灰が何羽もの美しい鳥となって空へ舞い上がり、虹の彼方に消えていったとも。しかし、戻ってくると予言されていた年に、偶然にも、白人のスペイン人が征服に来て、それを見た現地人は、ケツァルコアトルが戻って来たと勘違いし、何の抵抗もせずに殺されてしまったと言われています。と言うのも、ケツァルコアトルは変幻自在の神とされており、その一つが「白い肌の人間」と言われていたからです。

果たして本当に史実があったのか?

しかしこの逸話は、10世紀頃に「ケツァル・コアトル」という実在した王が、人心供犠に反対運動をおこして、首都を追放された事件があり、それの話を元に語られているのではないか、とも言われています。

そして最近になって、そもそもアステカには「ケツァルコアトル帰還の逸話」そのものが存在しておらず、スペイン人を神と誤解した話は、実は後の植民地時代にねつ造されたものらしいことが分かって来たのだとか。そのため、この辺りの詳しい事情については、現在でも調査、研究が続けられています

チョコレートを初めて人類に紹介した逸話

ケツァルコアトルはチョコレートを初めて人類に紹介したという逸話もありますチョコレートの誕生は、アステカ人の住む古代メキシコだったと言い伝えがあります。ケツァルコアトルは、トウモロコシと共に、それまで、神だけの食べものとされていたチョコレートを人々に与えました。このため、カカオは人々からたいへん貴重とされ、儀式にも使われるほどでした。現在のメキシコのあたりでは、15世紀ぐらいまで、アステカの人々は、カカオを文化に取り入れていたと言われています。