酒呑童子とは?大江山に住んでいた鬼の頭領の正体について知ろう

酒呑童子は、日本史上最悪最強の悪鬼として知られています。大江山に住んでいた鬼の頭領として、四天王を従えていた酒呑童子は、当時の帝に依頼された源頼光にだまし討ちにあいます。古事記にも共通点がある鬼退治のストーリーを例として、鬼の正体に迫ります。
酒呑童子とは?都を荒らした鬼たちの頭領
酒呑童子(しゅてんどうじ)とは、丹波の大江山や山城国京都、大枝(大枝山)に住んでいたとされる鬼の頭領です。
酒好きとして知られており、手下から酒呑童子と呼ばれ、その他に「酒顛童子」、「酒天童子」、「朱点童子」などとも表記されます。
酒呑童子は異国からの漂流民??
酒呑童子はドイツから漂着した人物だといわれています。
漂着したドイツ人の名前が「シュティン・ドッチ」だったことから、酒呑童子と呼ばれるようになったといいます。
また、酒呑童子は生血を飲んでいたとされていますが、それが実はワインであったことから、ロシアからの漂流民という話もあります。
当時の日本には、ワインがまだ浸透しておらず、ワインを生血と勘違いした日本人から見たドイツ人やロシア人が、鬼のような妖怪に見えたことによるのではないかとされています。
酒呑童子は鬼なのに嘘が嫌い?!
酒呑童子は、乱暴な鬼として知られており、夜の平安京を荒らしまわったとされています。
また、嘘や策略が大嫌いな鬼としても有名でした。
源頼光が従えた四天王達(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)はそこを逆手にとり、酒吞童子が大好きなお酒を使い、酔いつぶれた所をだまし討ちしました。
倒された時首一つになっても、酒吞童子は相手に噛みつき、「鬼であっても、こんなに卑怯な真似はしない!」と叫んだとされます。
酒呑童子の首は塚に祀られていますが、これは酒呑童子が改心し、首(自分は首だけになったため)から上の病気で苦しむ人を助けたい」と願ったためと言われています。。
また、お酒の神様としても有名で、千年以上経った今でも、塚にお供えのお酒は絶えないとも言われています。
酒呑童子と茨木童子の関係
茨木童子(いばらきどうじ)とは、酒呑童子の重要な側近で、副首相として非道の限りを尽くした鬼と言われています。
茨木童子と酒呑童子は、大江山(おおえやま)を拠点にして、京都の女性をさらって乱暴狼藉を働いたことで、源頼光と四天王に倒されますが、茨木童子だけは難を逃れ、逃げ延びたとされます。
ただ、茨木童子と酒呑童子の関係には諸説があり、家来の一人であったという「家来説」だけでなく、酒呑童子の妻であったという「夫婦説」の他、息子の一人であったという「息子説」などがあります。
酒呑童子が従えた四天王の鬼たち
酒呑童子には、茨木童子の他に、鬼達の四天王と呼ばれる「熊童子(くまどうじ)」、「虎熊童子(とらくまどうじ)」、「星熊童子(ほしくまどうじ)」、「金熊童子(かねくまどうじ)」の四人の配下がいました。
酒呑童子の配下にいた鬼の四天王は弱いのか?
源頼光の4人の家来による討伐で、茨木童子は難を逃れ、命からがら逃げることが出来ましたが、鬼の四天王達は酔いつぶれていたことであっさりと倒されてしまったそうです。
あっさり負けてしまうとやはり、「強くはなかったのか」という印象を抱いてしまいますが、頼光は四天王の他に、家来を数名引き連れて大江山に酒呑童子退治に出かけています。
しかも坂田金時(幼名:金太郎)のような強い力を持った家来がいたにもかかわらず、謀り事なしでは勝てなかった酒呑童子と鬼も四天王達は、かなりの力を持っていたと推測されます。
「大江山絵詞」の酒呑童子
大江山絵詞とは、別名「大江山絵巻(おおえやまえまき)」と呼ばれ、基本的には酒呑童子を頼光の一行が退治する姿を描いた絵巻物です。
御伽草子「酒呑童子」にも載っている武勇伝を取材して描かれたものと言われ、下総(現在の千葉県北部)の香取神社に由来しており、大和絵の作風に似せて描かれた絵巻物でもあります。

宮司さん
酒呑童子の住んでいた大江山は京都府の北西にあります。
グーグルマップで見ると平安京(京都市)からはかなり離れているのがわかりますね。

おかずさん
一度いってみたいな!