ハイヌウェレとは?インドネシアの死体化生神話の女神について知ろう

世界にはさまざまな形の神話がありますが、中には神々の遺体から植物が生まれたという死体化生神話というものもあります。その代表例がインドネシアに伝わるハイヌウェレ女神の物語です。そして、ハイヌウェレ女神と同じような物語は日本を含め世界各地で見られハイヌウェレ型神話と呼ばれています。
ハイヌウェレとは?インドネシアの神話の女神
世界にはさまざまなタイプの神話が存在します。ある神話は世界や国の創造に関するものだったり、またあるものは英雄の活躍にまつわるものだったりと、多種多様です。
中には変わり種のものとして、死体化生神話と呼ばれる「神の死体から食物が生まれた」というあらすじの神話も存在します。
その典型例といえるのが、インドネシア東部モルッカ諸島にあるセラム島に住むヴェマーレ人に古くから伝わるハイヌウェレという女神にまつわる神話です。
興味深いことにハイヌウェレの神話と似た死体化生神話が日本の神話にも見られます。
そこでこの記事では、日本の神話との共通点も絡めながらハイヌウェレの神話について解説します。
ハイヌウェレが登場するヴェマーレ人の神話
ヴェマーレ人の間に伝わる女神ハイヌウェレの神話は、おおよそ以下のようなあらすじです。
昔、アメタという男がいて、ある日外から持ち帰ったココヤシの種を夢のお告げに従って育てたところ、その花から1人の少女が生まれました。
そこでアメタは少女にハイヌウェレと名付けて、自分の娘として育てることにしました。
彼女の成長は速く、3日ほどで年頃の娘になりました。
その折に彼女が用を足したところ、その時に出した大便が島ではとても手に入らない宝物(陶器など)になったため、アメタはそれを売ることで裕福になりました。
それからしばらくして、村で毎年恒例のマロ祭りが行われ、この年はすでに村中で超自然的な力を使って宝物を出すと噂の的になっていたハイヌウェレを主役として九日九夜踊り明かすことになりました。
祭りの間中、ハイヌウェレはずっと用を足すことで宝物を出し続けました。
しかし、祭りの日程が過ぎていくうちに村人たちはハイヌウェレのことを不気味に感じるようになり、ついには彼女を殺すことに決めました。
そして、祭りの最終日である9日目の夜、いつものようにハイヌウェレを真ん中にして踊る中、村人たちはあらかじめ掘っておいた穴にハイヌウェレをつき落し、土をかけて彼女を生き埋めにして命を奪ってしまいます。
彼女の死を彼女が帰ってこないことと占いを通じて知ったアメタは彼女の遺体を掘り起こすと、遺体をいくつにも分けて祭りの広場のあちこちに埋めました。
すると、それまでなかったタロイモやヤムイモなどさまざまなイモが生えて来ました。
それ以来、人々はイモ類を主食として生きるようになりました。
このように、神話の中ではハイヌウェレの遺体から現地の人々の主食であるイモ類が発生したため、ハイヌウェレは「死を通じて食物をもたらした女神」とみなされています。
民族学者が「ハイヌウェレ型神話」と命名
実はハイヌウェレ女神の神話のような、「自らの遺体が元になって食べ物が生み出された」という内容の話は、インドネシアのほかにもアメリカ大陸やメラネシア(オーストラリアの北から北東にかけての島々がある地域)にも存在します。
さらに、ハイヌウェレ神話のような内容の話がある地域は、セラム島と同じようにイモを主食とする地域の分布とも重なることが明らかとされています。
ハイヌウェレ女神の物語のような内容の神話がイモ類の主食地域と重なって存在する点に注目して、農作物の起源にまつわる神話の研究に取り組んだのがドイツの民族学者・神話研究者であったアードルフ・イェンゼンでした。
イェンゼンはハイヌウェレ女神の物語のような内容を持つ神話体系を「ハイヌウェレ型神話」と名付けたうえで、この種の神話を持つイモ類を主食とする人々を「初期栽培民(古栽培民)」と分類しました。
そのうえでイェンゼンは、ハイヌウェレ型神話を持つ栽培民族が行う儀礼にも注目しています。
イェンゼンが研究を進めていくと、彼らが儀礼を行う際に生贄とした人や動物の肉の一部を共同体の人々全員で食した後、食べなかった部分はイモ類の豊作を願って畑にまくという習慣があるということに気づきました。
上記のような習慣はまさしく、ハイヌウェレ神話の中で育ての父であるアメタが祭りを行った広場のあちこちにハイヌウェレ女神の遺体の一部を埋めたところ、多くの種類のイモが生えてきたくだりがそのまま儀礼という形で反映されているものです。
以上の研究結果を通じて、イェンゼンは、文化の中において神話と儀礼とが密接に結びついているという理論を打ち立てるに至りました。
日本のハイヌウェレ型神話
このようなハイヌウェレ女神のような死体化生にまつわる神話は、実は日本の神話の中でも3つほど見られます。
『古事記』に載っているオオゲツヒメ(大気都比売神)とスサノオ(素戔嗚尊)のくだりと、『日本書紀』に載っているツクヨミ(月読命)とウケモチ(保食神)にまつわるくだりが日本神話におけるハイヌウェレ型神話とされているものです。
古事記に収められているもの
まず、古事記に収められている話から見ていきましょう。
古事記に収められているハイヌウェレ型神話には、オオゲツヒメとスサノオの話が挙げられます。
オオゲツヒメは神話の中ではイザナギとイザナミ(日本の国土を創りだしたという兄妹・夫婦の神々)の娘として生まれた食物を司る女神です。
一方のスサノオは、天照大神の弟で、出雲では八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことで有名な神とされています。
さて、物語についてですが、天照大神が天の岩戸に隠れる事件があった後、スサノオが高天原(たかまがはら:神々が住む地域)を追われてさまよっているところが始まりです。
さまよっているうちに空腹に苦しむようになった彼は食物神であるオオゲツヒメに食事を乞います。
そこでオオゲツヒメはスサノオにいろいろな食事を与えますが、どのような用意の仕方をしているのか気になったスサノオはこっそり様子を見にいきます。
すると、彼女は口や鼻、お尻から食物を出してそれらを調理していたのです。
これを見たスサノオは、汚いものでもてなされたと怒って彼女を斬り殺してしまいます。
するとその時、彼女の遺体の各部からさまざまな穀物が生まれました。
そこでスサノオはこれらの穀物の種を手に取りますが、そのままでは神殺しによって穢れてしまっている状態だったため、カミムスビという神のもとに持って行って栽培できるような種にしてもらい、地上に下ろしました。
ちなみに、オオゲツヒメが祀られている神社は徳島県内にありますが、この徳島県の旧国名は阿波と呼ばれており、古くから粟を多く産出する国というのが由来です。
日本書紀に収められているもの
日本神話に見られるハイヌウェレ型神話の話は、ほかにもわが国初の歴史書である『日本書紀』にも収められており、ここではツクヨミとウケモチのくだりがあります。
ツクヨミとウケモチの話は、オオゲツヒメとスサノオの話と非常によく似た内容です。
ツクヨミは天照大神の弟で、高天原で月や夜を司る神とされています。
一方のウケモチは葦原中国(あしはらなかつくに:神の世界である高天原と死者の住む黄泉の国との間にある世界のこと、日本の美称でもある)に住む食物を司る女神です。
話はある日のこと天照大神の命を受けてツクヨミがウケモチを見に行くところから始まります。
ウケモチのところに着いたツクヨミに対して、ウケモチは口から獣や魚などを吐き出したうえで、そこから作った料理でもてなそうとしました。
ツクヨミは吐きだしたものでもてなされようとしていることに対して大いに怒り、ウケモチを斬ってしまいます。
ツクヨミのやったことに天照大神は怒って、ツクヨミに会いたくないとまで言ったことから、世界の1日が昼と夜とに分けられることになりました。
まもなく天照大神がアメノクマヒトをウケモチのもとに送ったものの、彼女はすでに亡くなった後でした。
しかし、彼女の遺体の各部からさまざまな穀物が生まれてきたため、アメノクマヒトが持ち帰ると天照大神はこれを喜び、人々が生きていくための穀物としました。
ちなみに、ウケモチは同じく食物神のウカノミタマ(お稲荷さんとして有名)と同一とされることから、稲荷神社に祀られている場合もあります。
ハイヌウェレについてまとめ
今回はハイヌウェレの神話のほか、日本の神話における似たようなお話を紹介しました。
ハイヌウェレ女神の話も、オオゲツヒメやウケモチの話も、普段食べている食物をどのようにして食べるようになったのかを神話の形で伝えています。
どちらも、神々の遺体から食物が生まれてきたという内容ですが、同時に主食としている食べ物にまつわる物語です。
神話は文化の底流にあるので、神話を知ることで昔の人たちの思いや性格に思いを馳せることができます。
そのような視点を持って神話を読むと、より面白く内容を理解できるでしょう。

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