幣立神宮とは?
日本古来の民族宗教である神道は、6世紀に仏教が伝来する以前から存在していたため、神道の神々を祀っている神社の中にも島根県の出雲大社のように非常に長い歴史を持つところも多いです。そして、日本の神社には1万年以上の歴史を誇るところもあります。
それが九州の熊本県にある幣立(へいたて)神宮です。場所は熊本県の上益城(かみましき)郡山都(やまと)町の山中で、社伝によれば15000年もの昔から存在するとされています。このため、日本最古の神社としても知られているうえ、境内にあるご神木などの森林から醸し出されるパワーが非常に強いことからパワースポットとしても有名です。
ところが、これほど話題性に富んでいるにもかかわらず、幣立神宮は旅行のガイドブックでもあまり載らないところでもあります。そこで今回は、この幣立神宮についてその歴史やご利益などをいろいろと見ていきましょう。
ポイント
- 幣立神宮は熊本県の山中にある
- 日本最古の神社であるとともにパワースポットとしても有名
幣立神宮の歴史
15000年もの驚くべき長さの歴史を持つ幣立神宮ですが、いったいどのような歩みがあったのでしょうか?ここでは、幣立神宮の長きにわたる歴史を見ていきましょう。
歴史は15000年の長きに
幣立神宮が15000年もの長い歴史を持つといわれるのは、境内にあるヒノキのご神木の樹齢が大きく関わっています。遠い昔、天の神様が地上に住む人々がお互いに争うことがないように神漏岐命(かむろぎのみこと)と神漏美命(かむろみのみこと)という2人の神様を遣わした際に、2人の神様が降臨したのがちょうど芽を出したこのヒノキでした。なお、この2人の神様は現在、幣立神宮の主祭神として祀られています。
ポイント
- 幣立神宮にあるご神木は樹齢15000年
- 天の神様が遣わした2人の神様が降臨した
- 2人の神様は幣立神宮の主祭神に
健磐龍命による創建
祭祀施設としての幣立神宮は、初代天皇である神武天皇の孫、健磐龍命(たけいわたつのみこと)が阿蘇山周辺の地に派遣されたところから始まります。彼は道中、非常に景色の良いところで休息していましたが、やがてその風景の美しさに感動して、ここに幣帛(神道における食べ物以外のお供え物)を立てて宇宙からやってきた天地の神々にお供えしたことが、幣立神宮の名前の由来です。
なお、健磐龍命は応神天皇の時代に起こった反乱に関わった結果、この神宮に隠れたという逸話もあるため、「隠れ宮」とも呼ばれています。
ポイント
- ・健磐龍命が幣帛を立てて神々にお供えしたことがきっかけ
「神宮」と呼ばれる理由とは?
ちなみに、山深い場所にあるにもかかわらず「神宮」(皇室にゆかりのある神社のこと)と呼ばれることになりますが、その理由としては創建が皇族の手によるものであること、祭神の1人に皇祖神である天照大神が名を連ねているというものです。特に太陽を司る天照大神も祀られている点は「日の宮」の別称を持つゆえんとなっています。
また、天照大神の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨を行った高千穂の地にも近いことから、この意味でも皇室にゆかりのある土地といって良いでしょう。
なお、境内には天照大神を祀る伊勢神宮内宮の分社もありますが、こちらは平安時代に当時の阿蘇神社の大宮司によって伊勢神宮から分祀されたものです。
現在建っている社殿は江戸時代に熊本の地を治めた細川家によって18世紀に改修されたもので、2016年4月の熊本地震でもほとんど被害がありませんでした。また、ご神木の方も1991年の台風で幹が折れたうえに上の部分が枯れるという損害を被ったものの、現在でもなお命脈を保ち続けて今日に至っています。
ポイント
- ・社殿やご神木は災害があってもほぼ損害がなかった

編集部
九州・熊本の地にひっそりと建つ幣立神宮