三位一体とは?キリスト教の大半の教派が共有する重要な教えについて知ろう

『三位一体』とは、キリスト教の一番大事な本質です。ただ、その意味を理解するのは難しく、聖書にさえ記載がありません。ここでは、用例を用いて三位一体の意味を紹介。そして、歴史的に『三位一体論』と戦った『様態論』という学説も合わせて説明して行きます。
三位一体の意味とは?キリスト教の重要な教え
キリスト教には、バチカン市国を総本山とするローマ・カトリック(旧教)と英国国教会や数多くのプロテスタント(新教)、ギリシャ正教といったさまざまな教派が知られています。
イエス・キリストの誕生以来2,000年余、キリスト教は世界で最も広範囲に信徒を獲得した宗教です。その拡大の裏には、しっかりした教義が形成されてきたのは言うまでもありません。
キリスト教の教義で最も重要なのが『三位一体』です。
三位一体の『三位』とは、3つの位階『神』『キリスト』『聖霊』のこと。聖書では『父なる神』『父から生まれた子、イエス・キリスト』『聖霊』と表記され、この三位は別々の役割を持ちながら3つが合わさって神として一体となる、これが三位一体なのです。
この3つは全てが『神』であり、3つ合わせて一体の神なのです。では、何が違うのか?それは神が人間にアプローチをする”形”です。
三位一体の意味
『神』はユダヤ教やイスラム教の神(ヤハウェ)と同じ絶対神。姿を表すことはありません。
『キリスト』は、人から生まれた神の子。聖書では”神から遣わされた者(ヨハネによる福音 8.42)”と称します。彼は人の姿で神の意志を人々に告げ、反感を買ったユダヤ教徒に殺されるも奇跡の力で復活します。
この復活がキリストの”神性”の証拠です。『神』の意志を人の姿で表したのが『キリスト』なのです。
『聖霊』とは、神の意志に基づく力。神の不思議な力を感じた場合、その力を授けたのは『聖霊』です。見えない神の意志を伝え、”神が自分に幸運を与えてくれた”と感謝する心を与える働きが『聖霊』の力なのです。
ポイント
- 三位一体とは『父である神』と『子であるキリスト』、『聖霊』が三位。いずれも神として一体であり、別々の役割を持つこと。
三位一体が否定する様態論
キリスト教の教義『三位一体論』に常に反駁(はんばく:論じ返すこと)してきた『様態論』というものがあります。激論の末異端となった『様態論』とはなんでしょうか?
様態論とは、『神』と『キリスト』『聖霊』が別々の役割を持つ一体の神ではなく、『神がキリストに姿を変え、やがて聖霊となった』という考え方です。
様態論では、キリストは人間ではなく初めから「神」で、3つに変態しても常に人格は1つという考えです。
しかし、そうなるとキリストは人間として生まれ予言者や救世主として活動した人間としての受難の日々を、自分で負わせ自分で救済していたことになる。様態論ではこの矛盾を解消することができず、『三位一体』を教義とする宗派からは「異端である」と否定されているのです。
ポイント
- 様態論とは『神』が『キリスト』や『聖霊』に変容したとする考え。
三位一体の用例
主にカトリック教会での典礼や祈祷、プロテスタントの祈りで用いられる三位一体とは各々に呼びかけることを指します。
キリスト教の教義『三位一体』を慣用句として使う用例ではこんな使い方があります。

編集部
三位一体についてまとめ
『三位一体』とは、キリスト教でもっとも重要な教義のことです。それでありながら、神の啓示によってのみ理解できるものです。
神とキリストと聖霊の『三位』は一体であり、それぞれ役割を持ち自立している神とする『三位一体』。
対して、神は『一位』であり、キリストや聖霊に姿を変えて現れる存とする『様態論』。
時代と共に神への解釈に小さな変化はあるものの、矛盾点を生み、”神性”を巡る論争は尽きることがありません。しかし三位一体の論争は、学問や絵画、音楽などさまざまなキリスト教文化が花開く一因であったと言えるしょう。
ライターメモ
- 三位一体についての ライターメモ

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