求道者とは?キリスト教でも仏教でも使われる言葉の読み方と正しい意味について解説

求道者の読み方とその意味とは?また、英語ではなんと言うのでしょう。キリスト教と仏教での求道者の意味合いの違いなど、正しい使い方を知ることで、今まで気が付かなかったようなことが理解できるようになります。こちらのサイトで詳しくご紹介しております。ご参考になさってください。

おかずさん
求道者ってなんだろう?
ぐどうしゃ?きゅうどうしゃ?

ひろみ
宗教的な悟りを求めて生きる人のことよ
アラサーニートのおかずさんには縁がないでしょうね
求道者の読み方
求道者の読み方は【きゅうどうしゃ】【ぐどうしゃ】です。
ポイント
- 一般的に【きゅうどうしゃ】と読まれることが多く、【ぐどうしゃ】は仏語として使うときの読み方です。

ひろみ
求道者の読み方は、
- 仏教だと「ぐどうしゃ」
- キリスト教なら「きゅうどうしゃ」
求道者を英語で言うと?
求道者を英語で”Investigator”または”catechumen”です。
ポイント
- Investigator…【求道者・調査者・研究者・捜査員】
- catechumen…【洗礼志願・求道者・入門者・初心者】

おかずさん
何かの道を究める者の称号を「求道者」と言うんだね。
(プロゲーマーの僕はむしろ現代の求道者では?)
求道者の意味
求道者とは、宗教的な心理での悟りを求めて修行する人の事を言います。
悟りを求めることにより、欲がなくなり心身ともに神に近づけます。神に近づくための修行でもあります。
教会用語としては『洗礼を受ける前の人』のこともさします。
ポイント
- 悟りを求め、その道を求める者を【求道者】と呼びます。
- 教会用語では洗礼を受ける前人の事です。
キリスト教における求道者
キリスト教では聖書に基づいて探求をする人の事を求道者と言います。
洗礼を受ける準備をしている人の事も求道者と呼びます。
イエスの言っていることが理解できるようになるまで洗礼を受けずに求道者として歩む人がいます。真理を追究することはキリスト教への信仰心がなくてはできません。少しでもイエスに近づき理解をしたいと思い、世界各国で求道者が聖書を基に真理を探求しています。
仏教における求道者
仏教では、この世における苦は【執着】と【欲望】とされています。総括して『煩悩』と言います。煩悩を無くして悟りを開くために修行することを仏教の求道者【ぐどうしゃ】と言います。
自己の執着こそが煩悩であり、それを拭い去れれば無我論や無常説に到達できると言われています。
求道者とは真理を探求するもの
【求道者】は己の心理や煩悩を知ることにより、物事の真理を探求し修行をすることと言えます。
心は常に、神と共にあり、悟りを開くことにより、神に近づけるのです。
悟りを開くことは容易なことではないので、その修行は苦しさも伴うものとなります。途中で諦めることなく修行を続け、探し続ける中で求道者は自分なりの答えを見つけるのです。キリスト教であろうと、仏教であろうと、自分の信仰する宗教における悟りの道が険しいものだとしても、その苦行の先には何かしら結果が付いてきます。
求道者になるのも、途中でやめるのも自分次第で決められます。自分の願っている未来に向かうために必要とあるのならば、信念をもって進みましょう。
まとめ
求道者の意味について、理解できましたでしょうか?
キリスト教と仏教では読み方が違いますが、その言葉が意味するものは、宗教的な心理について探求する者でした。
欲望やまやかしが多い現代社会において、求道者的な真理を探究する生き方こそが本当の自分を取り戻すカギとなるかもしれません。

ひろみ
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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