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丙午とはいつのこと?丙午の意味や性格に関する迷信、丙午生まれの芸能人について紹介!

丙午とはいつのこと?丙午の意味や性格に関する迷信、丙午生まれの芸能人について紹介!

十干と十二支を組み合わせた陰陽五行思想の暦には60の数詞があります。その43番目にあたる丙午には、江戸時代からある迷信がまつわりつきました。丙午の年の出生率にまで影響を及ぼしたその迷信とあわせて、丙午の意味や丙午生まれの女の子の性格、1966年の丙午に生まれた芸能人などを紹介します。

    丙午(ひのえうま)とはいつ?

    十干十二支

    十干十二支

    古代中国の知識によると、人はそれぞれの生まれた年に定められた運気をもっています。全部で60種類、その中で丙午(ひのえうま)だけ、江戸時代に生まれた迷信のせいで不遇な存在になりました。この記事ではそんな丙午について紹介します。

    丙午とはいつのこと?

    丙(ひのえ)と午(うま)が重なる年を丙午といいます。いちばん最近の丙午は1966年、その前になると1906年までさかのぼります。つまり60年に一度、丙午は訪れます。

    ポイント

    • 丙午の年は1966年(昭和41年)、その前は1906年(明治39年)でした。
    • 丙午は60年ごとに巡ってきます。

    丙午の元になっている考えとは?

    陰陽と十二支

    陰陽と十二支

    丙午は、十干十二支(じっかんじゅうにし)と五行説(ごぎょうせつ)という中国から伝わった考え方を元にしています。

    十干十二支は、十干と十二支を組み合わせた60種類の文字で暦や方角を表す方法です。1から60まで番号を振り、1年に1つ、60年で一巡して初めに戻ります。これが還暦です。

    十干は甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)の10種類です。昔の成績表に甲乙丙を、契約書や資格にも甲や乙を用いますが、普段の生活ではあまりなじみのない文字群ですね。

    さて、万物を5つの元素(木、火、土、金、水)で表す五行説と陰陽(いんよう)説を融合して、十干と組み合わせます。陽は兄(え)、陰は弟(と)と呼ぶので、木の組は甲(きのえ)・乙(きのと)、火の組は丙(ひのえ)・丁(ひのと)、土の組は戊(つちのえ)・己(つちのと)、金の組は庚(かのえ)・辛(かのと)、水の組は壬(みずのえ)・癸(みずのと)です。

    干支と丙午の関係

    十干十二支

    十干十二支

    十干に12種類の干支を組み合わせた十干十二支を干支(えと)といいます。干(え)は草木の幹、支(と)は草木の枝の意味で、干支は季節とともに変化する植物を表します。

    おなじみの十二支は、子(鼠)、丑(牛)、寅(虎)、卯(兎)、辰(龍)、巳(蛇)、午(馬)、未(羊)、申(猿)、酉(鶏)、戌(犬)、亥(猪)です。干支では、「子・寅・辰・午・申・戌」と「甲・丙・戊・庚・壬」、「丑・卯・巳・羊・酉・亥」と「乙・丁・己・辛・癸」をペアにするので、十二支6×十干5×2組=60、全部で60個です。

    1番目の甲子(きのえね、こうし)は1924年(甲子の年)に完成した甲子園の名前の由来となりました。元号以外にも672年の壬申(じんしん)の乱や1868年の戊辰(ぼしん)戦争のように使われました。

    さて、丙午は十干の丙(ひのえ)に十二支の午(うま)が結びついたもので、43番目に登場します。今年2019年は己亥(つちのとい)です。

    十干の「丙」の持つ意味

    「丙」の漢字は「あきらか、強い」という意味をもちます。十干の丙は火の兄(ひのえ)、兄は陰陽の陽ですから、太陽が強く輝いている状態、植物でたとえれば、勢いよく丈を伸ばしている成長段階です。

    十二支の「午」の持つ意味

    「午」は正午の午、太陽が頂点に達した地点で、これから傾きに変わるという段階です。方角は南、季節は夏(6月)、午前11時から午後1時が午の刻です。草木なら成長のピークを迎え、葉の先端に衰えの兆候をかすかに見せている状態、それが午です。

    「馬」という動物で解釈すると、農耕の時代に人間の暮らしを支えてくれたパートナー的な存在であったため、午には豊作、健康という吉兆の意味があります。

    ポイント

    • 丙午は十干十二支と陰陽五行説を元にして作られた干支の43番目です。
    • 丙午は、十干の丙にしろ干支の午にしろ、光り輝く火の運気をもっています。
    女神

    女神

    干支やカレンダーの他に十干十二支と陰陽五行を身近な生活にとりれてみませんか?

    丙午の女の子や性格に関する迷信とは?

    丙午と八百屋お七

    丙午と八百屋お七

    丙午生まれの人の性格

    午年は十二支の中でも生命力や行動力に抜きんでて、才能や冒険心にあふれています。同じ午年でも、生年の異なる甲午(きのえうま)、戊午(つちのえうま)、庚午(かのえうま)、壬午(みずのえうま)とは多少性格がちがいます。

    丙午は、神様が乗る神馬(かみうま)、天馬(じんめ)です。自尊心と理想が高いがんばり屋、気が強くて自分にも他人にも厳しい人です。きつい環境で自分を磨いて大成できますが、甘やかされた環境だとわがままでひとりよがりという短所が目立ち運気が下がります。

    丙午と女の子の関係

    丙午生まれの女性というと、世間では「気性が激しい女性」という先入観で見がちです。なぜでしょうか。

    丙午は十干・十二支で同じ火の属性が重なる、比和(ひわ)の関係であるため、その属性がプラスにもマイナスにも働くリスクがあります。そのためか、丙午生まれは感情の起伏が激しい一面をもちます。

    でも、どんな状況も受けいれられる芯の強さをもち、信頼するわずかな人と密につきあい、地に足のついた堅実な生き方をする、それが丙午の女性の基本的な性格です。

    厄年もそうですが、婚礼や新築などを避けた方がよいとする年まわりの禁忌(タブー)が古来、伝わっています。そうしたタブーの中に、なぜか、丙午生まれの女性を対象としたものがあります。「三度火事になる、三人の夫を食う、身代を滅ぼす」と並べあげ、あげくに「嫁にもらってはいけない」というレッテルを貼る始末です。一体これはどうしたことでしょう。

    江戸時代の八百屋お七の物語とは?

    江戸時代、丙午にからむ2つの迷信が広がりました。

    1つは「丙午の年には火災が多い」という迷信です。江戸の町は火事に対する恐れが強いため、火の重なる干支は警戒されたのです。江戸時代260年間、丙午は1606年、1666年、1726年、1786年と巡りましたが、実際に大火が起きたのは最後の1846年だけでした。

    もう1つは「丙生まれの女性は夫の運勢を圧倒して、その命を縮める」という迷信です。丙午には災難が起きるという負のイメージが変化したものと考えられますが、いつからどうして生まれた迷信か、発端ははっきりしません。

    きっかけのひとつが、八百屋お七の事件です。

    お七は八百屋市左衛門の娘でした。1683年の大火で本郷の宅を焼け出され、家族と共に正仙院に避難したとき、運命の人、生田庄之介と出会い、忍びあう仲になります。本郷に戻っても、庄之介と文のやりとりや逢瀬を重ねていたお七ですが、恋心をこじらせて近所に放火をしてしまいます。大事に至らなかったとはいえ、付け火は大罪です。温情をかけようとした奉行所でしたが、庄之介の名を伏せたまま作り話に終始するお七にはなすすべもなく、3月28日、お七は火あぶりの刑に処せられました。

    お七の事件が人々の心に響いたのか、バージョンの異なる実録風の読み物が何冊も出版され、さらに井原西鶴の『好色五大女』を筆頭に、浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵が題材にしました。お七の生年が1666年と推定されたため、激情にかられて放火もいとわない丙午の女という恐ろしいイメージも浸透しました。

    奇談集『絵本百物語』は、妖艶な容姿で夜ごと出没して男の精気や生き血をすする妖怪、飛縁魔(ひえんま)縁障女(えんしょうじょ)を、丙午の成れの果てとして描き、忌まわしいイメージに拍車をかけました。

    こんな時世では、再婚の口や多額の持参金をもたない丙午の娘が嫁ぎ先を見つけるのは困難です。1726年、1786年には、丙午生まれの誕生を避ける目的で、無理な堕胎や嬰児(えいじ:赤ん坊)殺しが盛んになり、下剤による流産で命を落とす母親も続出しました。

    1846年には大量の「丙午さとし文」が神社仏閣で公開されました。丙午生まれの書き手が多く、平穏な人生を送れるから安心するようにと親たちを慰めた啓蒙パンフレットです。それでも、極限にまでエスカレートした丙午ヒステリーを終息させることはできませんでした。

    ポイント

    • 丙午生まれはこの人ならできると思わせる大きなエネルギーと行動力の持ち主です。
    • 丙午の女性は「気性が激しい」という偏見をもたれがちです。
    • 丙午の結婚についての迷信が肥大化して、丙午ヒステリーが席巻しました。

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