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天理教の教えの特徴や教祖・成り立ちについて解説!信者と噂される芸能人も紹介

天理教
天理教
宗教用語
テスラさん
天理教って新興宗教だよね?少し怖かったりもするのだけど!

織田作之助
天理教は江戸時代からある歴史のある宗教だそうだ。奈良県の天理市は天理教で有名だよね。天理ラーメンなんてものまである。とにかく調べてみよう

天理教とは?

天理教,とは

天理教とは?

日本は信仰の自由を認めている国ですので、仏教やキリスト教など歴史の古い伝統的な宗教から比較的新しい宗教まで数多くの宗教団体が存在しています。日本では「新興宗教」という言葉がよく聞かれますが、新興宗教とは明確に定義づけされたものではないものの、一般的に幕末以降に現れた宗教を新興宗教(新宗教)と呼んでいます。
天理教のおこりも江戸末期ですので、新興宗教の一つです。新興宗教というとオカルト的なイメージを持つ人も多いのですが、オカルト的な宗教団体は極一部であり新興宗教のほとんどが教えに真面目に取り組む団体で天理教もその中の一つです。

信者数は?

大塩平八郎の乱が起こった次の年1838年ごろに現れた天理教は、明治末期から昭和初期ごろが最も信者が多いときとされ、当時推定500万人の人が天理教に加入していたと考えられています。
天理教信者の現在の人数は100万人前後といわれ、信者数は年々減少傾向にあります。

教祖はだれ?

天理教の教祖は、現在の天理市三昧田町で大庄屋であった前川家の長女として1798年に生まれた中山みきです。
中山みきは13歳で現在の天理市三島町の中山家へ嫁ぎ、家事をきりもりしていました。もともと慈悲深い中山みきでしたが、1838年41歳の時世界と人類を創造したとされる親神・天理王命が体に入り、自分が貧しくなることもいとわず周囲の貧困な人々に自分の家財をわけ与え善行を行うようになりました。
今では、教祖中山みきの肉体は滅んでも魂はこの世に留まり続け、世界中の人々が助け合いながら楽しく暮らす「陽気ぐらし」ができるように、休むことなく力を尽くしていると信じられています。

天理教の目的とは

天理教の目的は、世界中の人間が互いに助け合い心豊かに暮らす「陽気ぐらし」の信仰を広めることにあります。
親神である天理王命は、「陽気ぐらし」の生き方を教祖を通して教え導いているとされています。天理教では、生活苦や病気などつらい現実も神による成長のための導きと前向きにとらえ、自己中心的な考えをやめて他人のために行動することの大切さを説いています。

ポイント

  • 天理教の教祖は天理市で生まれ天理市の中山家に嫁いだ「中山みき」です。41歳の時親神である天理王命が体に入り、善行を行い天理教の基礎を築きました。
  • 天理教の目的は人々が互いに助け合い幸せに暮らすための「陽気ぐらし」の思想を広めることにあります。

天理教の歴史

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天理教の歴史

世界や人間を創造したとされる親神の天理王命が、家事をきりもりしている普通の女性の体を通してより良い生き方を教え導こうとするところから、天理教の歴史が始まりました。

天理教の始まり

1838年江戸時代末期に教祖である中山みきが神(天理王命)のお告げを受け、身をもって困っている人の救済に当たりながら「お互い助け合って仲良く暮らすことの大事さ」を人々に説いて回ったのが天理教の始まりです。
出産はいつの世も命がけですが、教祖は江戸末期1854年に妊婦の安産を願ってをびや許し」を始めました。産前産後の調子が良いことから「をびや許し」が評判になり、天理教の信仰が全国へと広がっていきました。

明治・昭和期の天理教

明治から昭和初期にかけては、天理教の教えが日本全国へ最も浸透していった時期と考えられます。天理教が多くの人々に受け入れられると、多くの人が「生き神様」と教祖を慕って親里(ぢば)である現在の天理市へ戻ってくるようになりました。神社仏閣はそのことを快く思わず迫害や干渉したとされます。
教祖は1887年(明治20年)に現世から姿を消しますが、50年の間の数々の迫害や干渉に対し救済を行い教えを説きました。教祖が姿を消してからも魂は存命し変わらず救済し続けているとされ、現在の天理教へ引き継がれています。

現在の天理教

天理教は最初神道系新宗教の一つとして存在していましたが、現在は文化庁に諸派新宗教として登録されています。
天理教では教祖の魂がこの世に留まり精神的救いとなっていますが、実質的な指導者は中山家の直系(真柱)が当たっています。
教祖は親神天理王命の啓示を人々に言葉と文字、自らの救済行動で伝えましたが、現代ではそれに基づく「天理原典」と「天理教教典」が信仰のよりどころとなっています。

ポイント

  • 救済活動を行っていた中山みきの妊婦の安産を願った「をびや許し」が評判になり、天理教は全国へ広まりました。明治から昭和初期の信者の数は500万人ともいわれています。
  • 現在は中山家の直系(真柱)が、「天理原典」と「天理教教典」をよりどころとして実質に指導者として活動しています。

天理教の特徴

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天理教の特徴

天理教の特徴としていえるのは、天理教独自の独特な言葉です。「陽気暮らし」を代表に人類が発症した場所を「ぢば」と呼んだり教祖の直筆を「おふでさき」私欲をもたずに他者のために動く「ひのきしん」他にも「ておどり」などがあり、特徴的な行事を行っています。また、死生観にも天理教の特徴が表れています。

現世に救済を求めている

教祖中山みきは家父長的思想の中凄惨な生活をしていました。もともと浄土宗の熱心な信者で仏教にすがって生きていましたが、来世利益の仏教ではすくわれないと悟り「現世での救済」の大事さを身をもって感じ、浄土宗の極楽浄土という「観念の救済」に対し異論を感じて宗教的に開眼をしました。

天理教の死生観について

天理教による生の概念は、人間は神の手により作り出されお互い助け合い平和に暮らすことを目的としています。また死の概念は、自己の消滅ではありません。肉体を借り物ととらえており死は肉体の消滅で、肉体から離れた魂は親神のもとに返り次に借りる肉体を親神の側で待っていると考えます。

ポイント

  • 天理教は、「現世での救済」を目的としています。
  • 天理教では肉体は借り物として考え、死は魂が肉体から離れることを意味し、肉体から離れた魂は親神の元へ返ると考えます。

天理教の結婚式/葬式

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天理教の結婚式/葬式

結婚式や葬式のあり方は宗教により違っていますが、天理教にも独自の儀式が存在します。

天理教の結婚式

結婚式

天理教信者の結婚式は教会で執り行われ、新郎新婦はおつとめ着と呼ばれる黒い衣装で式をあげます。おつとめ着とは、天理教のシンボルマークとされている教祖中山家の家紋を染めた衣装です。また、夫婦の誓いの杯を交わした後に「御礼おつとめ」を行います。

天理教の葬式

葬式

天理教は神道の流れをくんでいますので、葬式の作法は神道に似ています。神道と多くの共通点があり、戒名や位牌、ご仏前という呼び方をしません。また仏教では常識である数珠や焼香もしません。榊をささげた後30℃ぐらいのお辞儀を2礼し、4回拍手します。その後深々と90℃ぐらいのお辞儀を1礼し、4回拍手して最後に1礼行います。神道での拍手は音が出ないように気をつけますが、天理教の拍手は音を出してもかまいません。


ポイント

  • 結婚式⇒中山家の家紋が染められたおつとめ着で結婚式をあげ、杯を交わした後「御礼おつとめ」を行います。
  • 葬式⇒作法は神道に近いのですが、拍手は神道と違い音を出しても問題ありません。