母の日とは?いつ?その起源や世界の母の日の過ごし方、日本で花をあげる意味・由来について紹介!

日本ではなじみがなかった母の日ですが、由来はある国からでした。日本では母の日には何気なく定番のカーネーションを選ぶ人も多いですが、どうしてカーネーションになったのかなどを知ると祝日の意味もわかります。今回は母の日について解説してみました。
母の日の起源はあるアメリカ人女性
母の日の起源として知られている説とは?
母の日は、20世紀の初頭に、アメリカ人のアンナ・ジャーヴィスという女性が誕生させたとされています。
母の日がアメリカで生まれたといっても、元からその風習があったわけではなく、アンナさんの起こした運動により、母の日は生まれました。そこには、アンナさんの母に対する敬愛の心がありました。
母の日誕生のストーリー
アンナさんの母はアン・ジャービスという名前で、彼女はキリスト教の信者でした。アンさんは、地域の医療改善、衛生環境の改善を求めて「Mother's Day Work Club」というボランティアの団体を設立します。この団体が有名になった背景には南北戦争がありました。
この時北軍にも南軍にも、不衛生な環境のせいで、チフスやはしかなどの病気が蔓延した時期がありました。その時に活躍したのがアンさんの団体で、両方の軍人に対して、分け隔てなく平等に治療に当たります。
その後も平和に貢献する活動を続けていたアンさんは、1905年に亡くなります。アンさんを母に持つアンナさんは、このような活動を続けていたアンさんを敬愛しており、自分でも母の日を作る運動を始めたのですね。結果運動は実を結び、1914年にアメリカで母の日が制定されることになりました。
ちなみに、カーネーションを贈ると言う習慣も、母の追悼式で献花されたのが始まりとされています。
日本での母の日はいつからある?
日本で最初の母の日のイベントは大正時代
母の日が日本で最初に伝わったのは、1915年(大正時代)です。ただ、今のように5月の第二日曜日ではなく、当時は3月に祝われていました。
母の日自体は、日本でも大正時代に広まりましたが、母の日を祝うことが習慣になるためには、戦争が大きく影響しています。母の日はいわば、平和を実感できる日ともいえるのですね。一説では、昭和天皇の皇后である香淳皇后の誕生日、3月6日を母の日にしようという運動も行われたといわれています。
日本に母の日が広まったきっかけとは
母の日が全国に広まったきっかけは、政府ではなく1937年の「森永製菓」の広告によるものでした。これにより、全国にも母の日が認知されるようになります。
ただ、当時の日本は戦時下にあったため、母の日が広まることはなく、戦後しばらくたって後、1947年に母の日が5月の二番目の日曜日に決められます。
1949年になると、アメリカの占領下であった事が関係し、アメリカに習って祝う習慣が出来上がります。これこそが今でいう母の日の本当の誕生とも言えます。
母の日に花をあげる意味・由来とは
母の日にカーネーションをあげる意味
母の日にカーネーションを贈る意味は、キリスト教由来の故事と言われています。白いカーネーションは「キリスト自身」や「聖母マリア」などを、赤いカーネーションはキリストの血を表しているとされています。
アンナのお母さんが敬虔なキリスト教の信者であったことから、アンナもまたカーネーションを選んだのでしょう。そしてそれ以降赤のカーネーションは母が生きているうちに贈る花で、亡くなっていたら白いカーネーションを贈る風習が世界にも広まります。ただ、色によって花を選ぶのが精神的に苦痛と言う子供も増えたことで、今では赤のカーネーションが一般的になったともいわれています。
母の日にカーネーションをあげるようになった由来
母の日が最初にできたのはアメリカで、アンナさんの活動のおかげと書きましたが、実はこの時に贈られたのは赤ではなく、白いカーネーションでした。白いカーネーションが大好きだった母のために、亡くなった母の追悼式で参加者に配ったのが始まりとされています。
キリストや聖母マリアを象徴するとされるカーネーションを選んだことからも、アンナさんも敬虔な信者であったことが伺えますね。

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