
織田作之助

聖徳太子

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聖徳太子
天地開闢とは?その言葉の意味
天地開闢という言葉の意味は「世界のはじめ」や「天と地が開き分れること」です。
世界の神話伝説には天地創造や神々の誕生、人類の始まりがさまざまな形で取りあげられています。世界のはじまりや天地開闢について、日本神話はどのように描いているのでしょうか。
古事記では、「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時」の文句とともに天地開闢が始まります。これは「天地初発」とも言われ、「天と地が初めて現れたとき」や「天地のはじめのとき」という意味を表現しています。
一方、日本書紀では、「古(いにしへ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざりしとき」と書き出しています。これは、世界が鶏の卵のように混沌としていて、「天地も分かれず、陰陽も分かれていない」状態という意味です。その混沌状態から一転して、清いものが上昇して天になり、濁ったものが沈んで地になって、ついに天地が開きました。これが日本書紀の天地開闢の始まりです。
両書とも、その後に神々が現れ出ます。日本書紀には本書の他、第一から第六までの6通りの記載があって複雑なので、以降は古事記を中心に紹介します。
古事記/日本神話における天地開闢とその後
天地開闢がいつ頃のことかといいますと、正確な年数が記録されているわけではありません。少なくとも天地開闢は悠久の昔であることは確かです。
天地開闢では、別天神(ことあまつかみ)という5柱の根源神たちが現れます。さらに神世七代(かみよななよ)と呼ばれる男女一対神たちが7代続きます。この7代めが、いずれ天降って国生みを行うイザナキ・イザナミです。この神々の連なりだけでも大変な歳月となるはずです。
根源神たちの登場
天地開闢の神々が現れ出る場所はどこかといえば、これははっきりしています。高天原(たかあまのはら)です。高天原は天の上のはるかに高いところにあります。神々のいる高天原に比べて、地上世界は水に浮かぶ脂(あぶら)のようにふわふわと浮かんでいて、まるでくらげのような状態です。
天地開闢の神々は高天原に自然に現れます。
古事記が天地開闢について述べた「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時」の後には、「高天原に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。」と続くのです。
5柱の別天神(ことあまつかみ)たちは特別な神々で、天地開闢の後に登場する神々とは一線を画します。神々が「成った」順番は次のとおりです。
別天神(ことあまつかみ)
- 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
- 高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
- 神産巣日神(かみむすひのかみ)
- 宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
- 天之常立神(あめのとこたちのかみ)