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廃仏毀釈とは?その意味と運動が起きた原因を解説!

廃仏毀釈とは?その意味と運動が起きた原因を解説!

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とは仏教の教えを否定し、仏教文化を破壊するために全国で勃発した運動です。本記事では日本の仏教における重大事件の一つである廃仏毀釈が起こった背景や、それによってもたらされた結果や被害などを解説します。

    廃仏毀釈とは?

    廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とは仏教関連の経典や仏像などを破壊し、仏教を排斥することを目的とした運動です。廃仏毀釈というと大抵は明治初期の日本で巻き起こった廃仏毀釈運動のことを指しますが、それ自体は中国やインドでも過去に起こっています。

    「廃仏」は仏教に関係するものを破壊することを指し、「毀釈」は仏教の教義を否定することを意味しています。ここで釈とはお釈迦様を指しており、また仏教の教えを棄却するという意味を込め、廃仏棄釈とも表記します。

    廃仏毀釈運動について

    お寺
    Photo by june29

    道吾禅師

    道吾禅師

    古くから日本には神仏習合といって、神道と仏教を一緒くたにして信仰する文化がありました。そのため昔はお寺に神が祀られているものなども少なくなかったのです。

    しかし現在ではそのような例はほとんど見ることが出来なくなりました。それは明治初頭に全国で起こった廃仏毀釈により、そうした寺院の殆どが破壊などの被害を受けたためです。ここでは廃仏棄釈がもたらした被害を事例を挙げて解説します。

    事例① 永久寺

    廃仏毀釈運動は当時総本山にあたる重要な寺院が多数あった京都も巻き込み、多くの大寺院を巻き込み甚大な被害をもたらしました。中でも有名な例が永久寺です。

    永久寺は石上神宮の神宮寺でしたが、石上神宮は日本で最古の神宮の一つであり、それ故永久寺は立派な仏閣を持っています。また寺院にもそれぞれ格がありますが、永久寺はかの法隆寺に次ぐ寺格を有していたと言われており、非常に大きな影響力を持っていたとされています。

    永久寺が襲撃を受けると中にいた僧侶は即座に還俗、つまり一般人に戻って寺院を去り、建物は全て破壊されて薪になりました。また保管されていた仏像や経典など国宝級の文化財の全てが破格で売り払われてしまいました。

    事例② 八坂神社

    京都で起きた廃仏毀釈の中でもう一つの有名な例に八坂神社があります。

    八坂神社では牛頭天王という神を祀っている神社ですが、牛頭天王は仏教でもよく登場する神だったために標的になってしまいました。そこで八坂神社は牛頭天王の御祭神の名称を変更することを余儀なくされ、現在では日本神話で登場する素戔嗚尊(スサノオノミコト)という名で祀られています。

    弟子

    弟子

    この例に限らず、廃仏毀釈運動は寺院以外にも仏教的な要素の強い神社も標的にしていました。

    事例③ 鹿児島県の廃仏毀釈

    鹿児島県は盛んに廃仏毀釈が行われ、徹底的に仏教が弾圧された地域です。

    当時の鹿児島県では薩摩藩が主導となり、藩内にあった1600にも上る寺院の領地を全て取り上げ、寺院を一掃したのです。そして締め出された僧侶たちは薩摩軍に入れられました。

    薩摩藩以外では津和野藩(島根県)や苗木藩(長野県)でも藩が主体となって廃仏毀釈が行われ、仏教は徹底的に排除されました。

    事例④ 興福寺

    奈良県に位置し、春日大社と深い関係を持つとされる日本最古の寺院の一つとして知られる興福寺は、この運動により最も大きな被害を受けた寺院という一面を併せ持ちます。

    今でこそ十二将軍などの国宝を保管していることなどから観光客に人気を博している興福寺ですが、廃仏毀釈の被害に遭った当時寺院は無人になり、またあらゆる国宝級の仏像や拠点が破壊または盗難に遭うなどして荒れ果てた状態となっていました。

    興福寺の領地もまた政府により取り上げられ、現在その領地は奈良公園となって観光客に親しまれています。

    廃仏毀釈運動の原因について

    海に建つ鳥居
    Photo byJordyMeow

    道吾禅師

    道吾禅師

    廃仏毀釈が起こった要因として挙げられるのは民衆の寺への不満、そして当時盛んだった国学を通して復古的な思想が浸透したことです。

    明治に入って制定された神仏分離令が結果的にこれらに火をつけることになり、全国で同時多発的に運動が巻き起こりました。

    • 民衆の不満:民衆が寺院に不満を募らせる原因になったものとして、江戸時代の寺請制度があります。この制度によって全国民は寺の檀家にさせられ、それにより全国の寺院にこれまで以上に大量の資金が集まるようになり、経済的に豊かになりました。
    結果的に檀家になったことでお金の工面に苦労を強いられる民衆の中には、檀家と寺の経済格差に不満を持つ人も多くいました。また神社はこれに類似した制度を持たないため次第に寺に圧倒され、神官が寺の雑務を任されることもありました。
    • 復古的な思想:一方では同時期に日本古来の文化を見直す国学が盛んになり、そのテーマの一つとして日本に仏教が伝わり神仏習合の文化が形成される前の神道を解き明かすというものがありました。これによって日本の本来の姿への関心が高まり、その影響で復古主義的な考えが広まった結果、神仏分離の思想を後押しすることとなりました。

    神仏分離令

    また当時の日本政府は江戸時代に強大になった仏教の勢力を削ぎ、神道を中心とする体制を作りたいという思惑がありました。それは一つの宗教を国教とする西洋諸国にならい、神道中心の体制づくりによって西洋諸国に肩を並べるためであり、他の宗教が入り込むのを防ぐためでもありました。さらに江戸時代の制度を廃止することで江戸幕府そのものを否定するという意図も込められています。

    こうした背景から発令されたのが神仏分離令です。

    弟子

    弟子

    神仏分離令のもとで神社から仏教的な要素を締め出されたのは勿論、寺の土地は没収され、神社にいる仏教僧は還俗(一般人に戻る)か神官になるか選ばなければなりませんでした。

    神仏分離令の発令がきっかけで民衆の復古的な感情や積もり積もった不満に火がつき、民衆は政府が仏教を弾圧しているのを良いことに全国の寺院を襲撃しました。

    廃仏毀釈運動の結果とその被害

    お墓
    Photo by Siegfy

    政府と関係ないとは言っても、廃仏毀釈運動は仏教を弱体化させ、日本を神道を国教とする国にしたいという政府の目論見とは合致しているように見えました。しかし神仏分離令の結果は散々なものでした。

    神仏分離はある程度進みはしたものの、当初意図していたような神道を中心とする国家の実現は道半ばで断念することとなりました。その一方で失ったものはあまりに大きく、全体の約半分に及ぶ寺院が破壊され、奈良時代に作られた数々の国宝級の仏像や経典などが破壊または海外に流出する結果となったのです。

    またこの運動の最中にフェノロサは日本の仏教関連の美術品を保護しようと試みます。彼の働きにより美術品の海外流出が進んだものの、日本の芸術に価値があるということが国内で認知されるきっかけとなりました。

    フェノロサはその後岡倉天心らと共に、日本美術の発展を願い東京藝術大学の前身となる大学を設立しました。

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