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三日月宗近とは?天下五剣の一つとされる名刀について逸話・由来を含め解説!

三日月宗近とは?天下五剣の一つとされる名刀について逸話・由来を含め解説!

天下五剣の中でも最も美しい刀剣として知られているのが、三日月宗近です。享保名物帳に記されるなど、名物中の名物として名高い三日月宗近の逸話や由来について詳しく解説していきます。また、三日月宗近の来歴や作者である三条宗近についても紹介します。

記事の目次

  1. 1.三日月宗近とは?
  2. 2.三日月宗近は天下五剣の一つ
  3. 3.三日月宗近の逸話と名刀とされる由来
  4. 4.三日月宗近の来歴

三日月宗近の逸話と名刀とされる由来

三日月宗近は、刃縁に沿って三日月型の刃紋(打ちのけ)が三日月宗近と呼ばれる由来となります。光に太刀を向けてみるとたくさんの三日月が美しく輝いて見えたそうです。

三日月宗近の元々の名は、五阿弥切です。いつの頃から、三日月宗近と呼ばれるようになったかは定かではありませんが、1489年(室町時代・延徳元年)に作成された刀剣書長享銘尽に、三日月ト云太刀造之と記載があるため、この頃には三日月宗近と呼ばれていたことが分かります。

三日月宗近は、1527年桂川の戦い(日野内光)や1565年足利義輝が二条城で襲撃された際に、使用されているという説があります。その一方、三日月宗近の実戦用としてみたときの刀身のバランスの悪さなどから、実は誰も殺めたことのない太刀なのではないかという説もあります。

  • 足利義輝:永禄の変
永禄の変とは、足利義輝が住んでいた二条城を家臣達に襲撃された事件です。1万もの大群に囲まれ絶体絶命のピンチになりながらも、三日月宗近を手に30人以上もの敵を倒したといわれています。

三日月宗近の来歴

三日月宗近(五阿弥切)が作られる
その後、しばらく持ち主不明

1527年 権大納言・日野内光 桂川の戦い 三日月宗近(この頃は五阿弥切と呼ばれていた)を使用

1527年(大永7年)高野山に納められる
畑山ト山(畑山尚順)が日野内光の死を弔うために高野山に納めたという説がある
しかしながら、畑山ト山は1522年に病死しているといわれているため、この説に信憑性がないとされている

足利将軍家の秘蔵の名刀として伝えられる

1574年 第15代将軍足利義昭から豊臣秀吉が受け取る

豊臣秀吉に渡ったいきさつとして、1565年(永禄8年)永禄の変において、足利義輝が倒された際、謀反の首謀者である三好政康に渡り、豊臣秀吉に献上されたという話もある

1578年 高台院所持

この間、出雲の尼子家忠臣・山中鹿之助に三日月宗近を譲ったが、その後高台院に返上、
1578(天正6)年に暗殺されたという話がある。この頃、山中鹿之助によって糸巻太刀の拵えが作られたといわれています。
また、三日月宗近を譲られた山中鹿之助は、尼子家の家臣とは別人であるという説
秀吉に仕えて一万石を与えられていた山中山城守長俊の一族という説
毛利隆元の家臣で後に高台院に仕えた山中姓の一人という説
など高台院から徳川秀忠に送られるまでの三日月宗近の所在は定かではない

1624年
高台院死後、形見としてから徳川秀忠に送られる

1945年(昭和20年)徳川家から長島喜代一氏所持となる

1949年(昭和24年)高橋金雄氏

その後、渡邊三郎氏所持

1951年(昭和26年)渡邊誠一郎氏所持・国宝となる

1992年(平成4年)東京国立博物館へ寄贈

現在も東京国立博物館に所蔵

まとめ

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三日月宗近は、刃縁に三日月の模様が美しく浮かび上がることから、名付けられた刀剣です。桂川の戦いや延禄の変で使用されたという話がある一方、三日月宗近が美しいといわれる刀身の姿から、不殺の刀のではないかという説があり、知れば知るほど神秘的な印象を与える刀剣です。

三日月宗近は、所蔵されている東京国立博物館などで展示されることがあるため、実際に見ることのできる刀剣です。2019年は
7月23日~9月29日まで東京国立博物館で展示されていました。神秘的で美しい三日月宗近に興味があるという方は、お近くで展示があるときに足を運んでみてはいかがでしょうか。

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