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諸行無常とは?仏教の重要な概念についてその意味をわかりやすく解説!

諸行無常とは?仏教の重要な概念についてその意味をわかりやすく解説!

平家物語のなかでも登場する諸行無常という概念は仏教に特有の考え方であり、仏教の根幹をなす重要な概念の一つです。本記事では諸行無常の意味やその裏に込められた仏教独自の世界観、さらに諸行無常が表現された作品について解説します。

    諸行無常とは?その意味について

    諸行無常」(しょぎょうむじょう)とはこの世のあらゆるものは永遠には続かないという無常観を表した言葉です。「諸行」にはこの世の全てのもの、「無常」には常ならぬ、つまり永遠には続かないという意味があります。

    諸行無常という考え方は他の宗教では見られない、仏教に特有の要素の一つです。本記事では諸行無常という言葉の意味、その言葉に込められた仏教の世界観について解説していきます。

    仏教における刹那の考え方

    苔の生えた地蔵
    Photo byJordyMeow

    刹那(せつな)という言葉は元々仏教用語で、サンスクリット語の「クシャナ」の音写です。

    刹那は仏教用語で「一瞬」という意味を持ち、また時間の単位としても使われます。刹那という単位がどのくらいの長さを表すかについては諸説ありますがおおよそ一刹那=0.013~0.018秒とされ、いずれにせよ非常に短い時間を表しています。

    このような単位が存在する背景には諸行無常に代表される仏教の独特な世界観があるのかもしれません。というのも仏教ではこの世のありとあらゆるものは刻一刻と変化しており、永遠に変わらないものは存在しないと考えられているからです。私達人間も地球も太陽も、全てが今この瞬間にも変化を続けているという考えが、一瞬の短さを表す刹那という言葉を生んだのかもしれません。

    諸行無常と刹那

    諸行無常という世界観を象徴する言葉の一つともいえる刹那という言葉は、現代ではネガティブな印象を持たれがちですが、本来は必ずしもネガティブな意味を持つ言葉ではありません。

    例えば刹那主義というと「今だけ良ければどうでもいい」という無責任で否定的な印象を持ってしまいがちですが、本来の意味で解釈すれば逆に「今この瞬間の幸せがあってこそ未来の幸せがある」という風に捉えることが出来ます。仏教では刹那の間にもものは変化していると考えられています。しかしその性質があるおかげで世の中のものは変わり続け、その中で既存の悪が滅して善なるものが生まれるのですから、刹那は必ずしもネガティブな意味合いとしては捉えられないのです。

    諸行無常の考えと釈迦の出家

    お釈迦様の像
    Photo by nyanchew

    諸行無常とは仏教では他の宗教では見られない独特な世界観を指し示す言葉です。

    キリスト教やイスラム教など他の宗教では何かしら永遠不変の存在について語られていますが、仏教ではこの世において永遠不変のものは存在しないと考えるのです。仏教ではありとあらゆるものは次から次へと絶えず変化しながら誕生と消滅を繰り返しており、どのようなものも長くは続かないと捉えられています。

    ここでいう「もの」には私達が持っているスマホや時計、家などの物体は勿論、家族団らんの時間や夫婦で仲良く暮らしていられる時間、そして人間関係や人の気持ちも含まれています。ですがこれは悲しい意味ではなく、常に移り変わるからこそ様々なものがこの世に生まれるのです。

    諸行無常はお釈迦様がまだ雪山童子という修行僧だった頃、ヒマラヤの奥地で修行している時にまさに命がけで手に入れた悟りの言葉の一部なのです。この時に得られた悟りの言葉は諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽(しょぎょうむじょう・ぜしょうめっぽう・しょうめつめつい・じゃくめついらく)というわずか16文字の言葉でした。

    諸行無常は仏教の三法印の一つ

    仏教にはそれが仏法かどうかを判断するための印となる3つの教えがあります。それらをまとめて三法印(さんぼういん)といいますが、そのうちの一つに諸行無常数があります。ここではその三法印について解説していきます。

    三法印

    壁に掘られた仏像
    Photo bySuzyT

    法印とは仏の御教えとそれ以外とを分けるための旗印となる真理のことであり、それに基づいた教えを説いている仏教が世の真理であることを示す証でもあります。

    法印は涅槃寂静印、諸法無我印、そして諸行無常印の3つがあり、これらを総称して三法印と呼びます。またこれに一切皆苦(いっさいかいく)という印を加えて四法印と呼ぶこともあります。

    諸行無常印:この世の全ては永遠不変ではないということ
    諸法無我印:この世に全く変わらない物体は存在しない
    涅槃寂静印:煩悩を消した先に安らかで幸福な世界があるということ

    仏教以外の宗教ではこれら3つのうちどれかには矛盾した教えを説いており、例えばキリスト教やイスラム教、さらに日本神道でも永遠不変の魂などが語られており諸行無常印に矛盾していることがわかります。

    また例えそれが仏教を名乗っていたとしても、三法印に矛盾した教えが含まれているなら仏教としては認められないのです。

    諸行無常と平家物語

    多くの人は諸行無常という言葉を「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という一節で初めて目にしたのではないでしょうか。

    これは鎌倉時代に書かれた平家物語の冒頭の一節ですが、平家物語はまさに諸行無常という観念を表現した作品といえます。平家物語の中では平家が栄華を極めてから没落するまでが描かれています。その平家は平清盛が保元の乱や平治の乱で勝利を収めたことで富と権力を手にし、その後わずか20年後に壇ノ浦の戦いにより没落しました。その歴史はあまりに儚く刹那的で、まさに諸行無常の理をはっきりと物語っているといえます。

    諸行無常といろは唄

    蓮の花
    Photo byCouleur

    いろは唄といえば日本語の50音を全て一度ずつ用いて書かれた唄として知られていますが、いろは唄の中でも諸行無常の観念が歌われています。というのも元々いろは唄はお釈迦様の悟りを伝えるために作られた唄であり、そこには諸行無常だけでなく他の三法印の教えも込められているのです。

    いろは唄はお釈迦様がまだ雪山童子という修行僧だった時に命がけで得た「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」という悟りの言葉を和訳したものです。

    「色は匂えど散りぬるを」は「綺麗に咲き誇る花もいずれは散りゆく儚いものだ」ということを表しており、「我が世誰ぞ常ならむ」は「この世では誰であれ盛者必衰、不変などありえないのだ」ということを表しています。

    このように唄の前半では諸行無常の観念が込められており、この世に生きる者の迷いが表現されています。

    一方後半ではその迷いを断つ方法について描かれています。後半の「有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔いもせず」について「有為の奥山」は苦しみの絶えない物質世界を深い山に例えた表現で、後ろに続く「今日越えて」は、苦しみの世界を生きているうちに越えてという意味になります。

    また唄の中では地位や名声など物質的・世俗的な幸せのことを、死ねばあっけなく失われてしまうことから「浅き夢」と表現しています。後半の意味をまとめると「この世の苦しみを生きているうちに越えれば、刹那的な夢に惑わされることもない」という風になります。

    これは涅槃寂静印の考えとも通じており、厳密な意味での悟りではないものの生きているうちにそれに近い境地に達することで、心から満足できる真の幸福を手に入れられるとしてます。

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