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DQNの川流れとは?玄倉川水難事故について

DQNの川流れとは?玄倉川水難事故について

DQNの川流れという言葉を聞いたことがあるでしょうか。この言葉の元になったのは玄倉川水難事故という、13人もの若者が死亡した悲惨な水難事故です。本記事では玄倉川水難事故の概要やDQNの川流れと呼ばれるに至った経緯を解説します。

    DQNの川流れとは?玄倉川水難事故について

    DQNの川流れとは、DQN(ドキュン)と呼ばれるような非常識な言動をする人が川で水難事故に遭うことを指す言葉で、河童の川流れということわざをもじって付けられた名前です。名前には川流れとありますが、海やダムでの水難事故に対して使うこともあります。

    辻林クン

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    DQN(ドキュン)とは常識を欠いた言動を繰り返す人を指すスラングで、あるテレビ番組がその名前の由来となりました。

    そしてDQNの川流れとは玄倉川水難事故(くろくらがわ)という水難事故が由来となっています。なぜこの水難事故が何故DQNの川流れと呼ばれるようになったのでしょうか。本記事では事故の概要や、このような名前で呼ばれるに至った理由を解説していきます。

    DQNの川流れ/玄倉川水難事故の概要

    事の発端は1999年にさかのぼります。1999年8月14日、神奈川県の奥地にある玄倉川という渓流で事故は発生しました。

    その時玄倉川では6人の子供を含めた25人の若い男女が事故前日の13日からキャンプを楽しんでいました。しかし彼らがテントを張った場所はキャンプ場ではなく、しかも中州だったのです。天気が良ければ問題なく渡れる場所にあったものの、天気の変わりやすい山中であることを考えれば決して安全とは言えません。

    また丁度その時熱帯低気圧が接近しており、その影響で現地では15時ごろから雨が降り始め、16時50分には玄倉川周辺でも大雨洪水注意報が発令されていました。それを受け付近にあるダムの職員は彼らに対し複数回にわたりキャンプをやめて川から離れるように警告していました。

    その時他にもキャンプやBBQをしているグループがいましたが、彼らが全員警告に従い川から離れても尚、その若者たち25人のうち最終的に18人は無視を決め込んだのです。

    その後雨はどんどん激しくなり、ついにはダムからの通報を受け駆けつけた警察がテントにいる若者らに警告をしました。しかし彼らはその警告を無視するばかりか警察に乱暴な言葉を投げつけ、全く聞き入れようとしませんでした。

    既に川の水位が増しており、グループの中には子どももいたため、この状況で川を渡るのは危険と判断し警察は一旦その場を後にしました。残った18人は中州に張ったテントの中で眠りについたのですが、その間に雨は急激にその勢いを増し、翌午前5時頃には大雨洪水警報が発令されるまでになりました。

    テントで一夜を過ごした若者らが目を覚ますと既に中州は濁流によって孤立した状態となっており、朝の8時ごろにはついに中州は水没、テントは流され一行はパニック状態に陥りました。

    消防隊が駆けつけた時には既に大人の腰の高さにまで水位が達しており、若者らはパラソルに掴まりながら必死で流れに抗っているという状況でした。しかし濁流の勢いが強く暴風雨が吹き荒れていたために川を渡るのもままならず、谷間という地形上であるため救助ヘリも出せない状況であり、救助活動は困難を極めました。

    更に悪いことに、付近にある玄倉ダムも貯水能力の限界を迎え、放水しなければ決壊するという危機的状況にありました。警察の要請により数分の間放水を止めることは出来たものの、これ以上はダムが決壊するとの判断により、18人が濁流の真ん中に取り残されたままダムの放水が始まりました。

    そして11時30分を過ぎたころ、頼みの綱であったパラソルも流され、大人の胸の高さにまで水かさを増した濁流の中で踏ん張っていた18人の若者らもついに力尽き、救助隊や中継のカメラの前で18人まとめて濁流に押し流されてしまったのです。

    18人のうち5人は幸運にも岸辺に辿り着いたものの、残りの13人は全員死亡するという悲惨な最後を迎えました。

    玄倉川水難事故はなぜDQNの川流れと呼ばれるのか

    この事故がDQNの川流れと呼ばれるようになった理由は、事故に遭った若者たちの言動があまりにも酷かった点にあります。

    彼らは事故が起きる前日から既に職員や警察に対して態度が悪く、避難勧告をする警察官に対し「警察にそんなこと言われる筋合いはねぇ」などの暴言も吐いていました。

    そして驚くことにいよいよ自分たちが危険になり救助活動が始まると、苦戦する救助隊に対し「もたもたするな」「仕事なんだから早く助けろ」など耳を疑うような暴言を浴びせ、グループのうち救助された人は救助隊員に対し、まだ捜索中の仲間がいるにもかかわらず「テントを回収したら返して欲しい」といった自分勝手な発言までしていたのです。

    こうした彼らの悪態はテレビ中継によって全国に放送され、大変な非難を浴びることとなりました。

    またこのような事故が起きた場合、生き残った人は会見など謝罪の場を設けることが少なくなく、犠牲者遺族が生き残りに対し訴訟を起こす場合もあります。しかもこの事故の生き残りの中にはキャンプのリーダーも含まれていたため、何かしらの謝罪はあるだろうと思われました。

    しかし結局リーダーからの謝罪は一切なく、このことで更なる非難を浴びることとなりました。

    あまりインターネットが普及していなかった当時でさえ広く拡散され話題になった要因はその事故の悲惨さだけでなく、水難者があまりに非常識な人間であったという点も大きかったのです。

    DQNの川流れ/玄倉川水難事故から私たちが学べること

    奇しくも事故からちょうど20年後になる今年の8月14日に、悪天候の中18人が川の中州に取り残されるという、20年前と酷似した水難事故が発生してしまいました。この事故は「新・DQNの川流れ」と言われ話題になりました。そんな今私達があの水難事故から学べることは何でしょうか。

    現在でも行楽からシーズンになれば渓流などでレジャーやキャンプを楽しむ人も増えますが、同時に水難事故も多発しているという現状があります。

    レジャーを楽しんでいる間はつい忘れてしまいがちですが自然というものは気紛れで、ひとたび猛威を振るえば人間では到底かないません。水難事故に遭うケースの多くはそのような、自然が猛威を軽視して川や海に近づいた結果起きています。

    当時玄倉川水難事故のテレビ中継を見ていた人達は牙をむいた自然の恐ろしさをまざまざと見せつけられたことでしょう。

    DQNの川流れから既に20年経っており、この凄惨な事故を知らない若者も増えてきました。彼らの中にもまた、残念なことに自然の脅威を軽視している人が少なくなく、現にその結果悲惨な水難事故で犠牲になる例も後を絶ちません。

    愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

    何かが起こってからでは遅いのです。私達に出来ることは起きてしまった事故を風化させず、同じ悲劇が繰り返されないように事故を教訓にしていくことでしょう。

    玄倉川水難事故を教訓とする例の一つが台風の表記の変更です。それまでの「弱い台風」のように台風の威力を「弱い」という表現で評価していたのを廃止し、「強い」「非常に強い」のように「強い」という表現を使うように変更したのです。これは台風を侮ることを防止するための対応と言えます。

    この例のように一度起きた事故や災害を教訓として何かを改めていくという地道な積み重ねが、これからを生きる人の安全を守っていくのです。

    テスラさん

    テスラさん

    アマテラスチャンネルでは「DQNの川流れ」という漫画も公開しているよ!

    51demrampal

    DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路~

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