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提婆達多(ダイバダッタ)とは?仏教における極悪人の代名詞の生涯について

提婆達多(ダイバダッタ)とは?仏教における極悪人の代名詞の生涯について

仏教の経典の中にも記されている大極悪人、提婆達多(ダイバダッタ)。ダイバダッタはブッダとどのような関係にあり、どのようなことをした人なのでしょうか。今回は提婆達多の送った壮絶な人生と提婆達多から学ぶことについてご紹介したいと思います。

    提婆達多とは?

    提婆達多はブッダの従兄弟で、かつ弟子でもありブッダの次に才能ある秀でた者でした。しかしブッダへの妬みから大罪を犯してしまった「仏教史上最大の悪人」として名を残しています。

    なぜこのような史実に残る極悪人になってしまったかというと、仏教では“五逆罪”と呼ばれる大罪があり何人たりともこれを犯してはならないというルールがあります。
     

    <五逆罪>
         ①父を殺す
         ②母を殺す
         ③聖者を殺す
         ➃教団の和合を破る
         ⑤仏身から血を流させる

    提婆達多はこれら五逆罪の内の三つの大罪を犯しました。歪んだ欲望から幾度もブッダ暗殺を試みた咎人でもあるのです。

    読み方

    提婆達多と書いて「ダイバダッタ」または「デーヴァダッタ」と読みます。日本では古来より仏典などのサンスクリッド語で書かれたものを漢字に変換して翻訳し、梵語として伝来してきたためDevadattaを梵語で提婆達多と表しました。

    他にも提婆(ダイバ)と略称で呼ばれたり、提婆を意訳して調達(チョウダツ)天授(テンジュ)とも呼ばれています。

    意味

    前述したように提婆達多(ダイダバッダ)にはデーヴァダッタや調達・提婆など様々な呼び名が使用されてますが、ここでは天授という呼び名についての意味をご紹介します。

    提婆達多の出生時すでに発熱しており、それを天熱と言います。梵天・帝釈天・吉祥天等をはじめとした諸天部は、彼の誕生の際に三逆罪を犯すことを予知していており、彼の心の内の生死煩悩の熱悩(身を焼くような激しい心の苦悩に悩まされ続ける生涯)をもって「天授」と名付けたといわれています。

    提婆達多の人生について

    提婆達多の人生について
    Photo byumihir

    提婆達多は文武の才に恵まれていましたが、一度もトップになれませんでした。なぜなら同じ時代にシッダルタ(後のブッダ)がいたためです。提婆達多の人生は常に二番手止まりの人生でした。

    生い立ち

    提婆達多は今からおよそ2600年ほど前のインドの王族の長子として誕生しました。提婆達多には弟の阿難尊者(後に釈迦十大弟子の一人となる)もおり、王族として何の苦労もなく暮らせる環境でした。加えて提婆達多は学問だけでなく武道においても秀でてました。

    性格は寂しがり屋で常に輪の中心にいたいと考えるタイプで、目立ちたいという思いからリーダーシップをとるための努力は惜しまなかったと伝えられています。

    そんな提婆達多にはライバルがいました。それは後にブッダとなるシッダルタです。二人は従兄弟同士という関係で子供の頃から共に学び、提婆達多は常にシッダルタに対し劣等感を抱いていました。

    常にシッダルタの二番手だった

    常にシッダルタの二番手だった
    Photo byPexels

    提婆達多にも天才的な才能がありましたが、神懸かり的な才能をもつシッダルタには到底及びませんでした。それは勉学だけでなくスポーツや武道においても同様で提婆達多はただの一度も勝てず、いつも悔しい思いをしていました。

    ヤショダラ姫をめぐるシッダルタとの決闘

    ヤショダラ姫をめぐるシッダルタとの決闘
    Photo byStockSnap

    大人になった提婆達多は善覚の娘ヤショダラに恋をしました。ですが彼女の気持ちはシッダルタに向いていて、彼女と結婚するにはシッダルタが邪魔な存在だったのです。そこでヤショダラ姫を奪うべくシッダルタに決闘を挑みました。

    王様の主催で「優勝した者が美女ヤショダラ姫と結婚できる権利」をめぐって全国競技大会が開かれました。全国各地から猛者が集い、学術・武道など様々な競技が行われます。提婆達多は学術・技術競技も難なくクリアし、運動神経も良かったので弓術では400メートル離れた的を射抜きました。ですが神懸かり的な才能を持つシッダルタは、なんと1キロメートルも離れた的をいとも簡単に射抜いみせました。

    次に組手競技ではシッダルタとの因縁の対決となり、果敢に挑みましたが簡単に投げ飛ばされ、シッダルタに全ての競技で惨敗してしまいました。そしてヤショダラ姫との結婚は叶わず、提婆達多の恋は儚く終わってしまったのです。

    ブッダへの弟子入り

    シッダルタが35歳の時に仏の悟りを開きブッダとなると、提婆達多はいよいよ足元にも及ばない存在になりました。そしてブッダが悟りを開いた3年後に釈迦族の国に戻られた時、提婆達多も出家しブッダへ弟子入りしたのです。

    それから12年もの間、提婆達多は過酷な修行をして神通力を使いこなせるまでになりました。そしてブッダを倒せる機会を虎視眈々と狙っていたのです。

    王舎城の悲劇

    提婆達多はインド最強のマガタ国の王子、アジャセの心を掴むために神通力を見せて近付き親しくなりました。アジャセ王子からの多額の寄付のおかげで、弟子を増やして勢力を強めることが出来たのです。勢力が強まり皆が自分に注目し始めると、提婆達多は邪な考えが膨らんできました。

    提婆達多はアジャセの力をさらに利用しようと企み、父親のビンバシャラ王を殺すよう仕向けるような嘘を吹き込みます。単純なアジャセ王子は簡単に騙され自分の父親をマガタ国の首都にある王舎城の牢に幽閉して殺害してしまい、アジャセが王となりました。これが仏教史上最大の悲劇と言われる王舎城の悲劇です。

    ブッダを暗殺しようとする

    野心に取りつかれた提婆達多は幾度もブッダ暗殺を企てます。ブッダは霊鷲山(りょうじゅせん)で「法華経」などたくさんの教えを説いていました。その状況を狙い、ブッダが霊鷲山に向かう道中の山の上から巨石を落としたのです。ブッダはすんでのところで身をかわしましたが、巨石の破片がブッダの足に当たり血が流れました。これが五逆罪の一つ「仏身から血を流す」という大罪です。

    それでも諦めることなく再びブッダの命を狙います。霊鷲山の王舎城にブッダが入るのを見計らい酒で酔わせた暴れ象を放ち、ブッダを襲わせました。しかし象はブッダを見るや否や子犬のように甘えて懐き、暗殺はまたも失敗しました。

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