
祈り亀・御礼亀
「お百度参り」とは?
お百度参りとは、どうしても叶えたいお願い事を叶えるために、100日の間、雨が降っても槍が降っても1日も欠かすことなく、同じ神社にお参りすることをいいます。
100日間という長い期間、繰り返しお参りすることで、
- 神社にいる神様と顔なじみになれる
- 厚い信仰心を見せることができる
- 願いごとがどれだけ切実で叶えたいと思っているかを伝えられる
- 雑念がなくなる
- 真摯に願いごとと向き合うことができる

祈り亀・御礼亀
1日で100回繰り返しお参りすることもお百度参りというよ。最近では、こちらのやり方の方の方がお百度参りだと思っている人が増えてきているようだね。
起源
お百度参りは、平安時代の終わり頃から始まったのが起源だといわれています。
その後、鎌倉時代の頃になると、庶民にも伝わり、個人的にお願いごとをするようになったとされています。
永昌記(藤原為隆の日記で平安時代の終わり頃に書かれたとされる)によると、1110年に山城賀茂神社にてお百度参りの記載があります。これが、現在残っているお百度参りの最も古い記録だとされています。

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京都にある随心院などには、小野小町を慕い深草少将が百夜通いをしたという伝説が残っているよ。
平安時代に女流歌人として活躍した小野小町が自分のことを慕う深草少将に対し、「100日間通い通通すことができたら、付き合います」と約束したけど、結果的に結ばれなかったという切ないお話。
小野小町が百夜通いと言いだしたのは、お百度参りの習慣を参考にしたんじゃないかっていわれているんだよ。
また、鎌倉時代になると1189年(文治)5年8月10日に奥州追悼の祈祷の目的で、御台所御所中の上房数拝に鶴ヶ岡に百度参りをさせたという話があります。これは、鎌倉時代に作られたと言われる日本の歴史書「吾妻鏡」などに記載されているものです。
ここに出てくる奥州追悼とは、源頼朝が鎌倉政権を安定させるために奥州藤原氏を倒そうとした奥州合戦にて藤原泰衡が源義経を自害に追い込んだという理由をつけ、藤原泰衡を倒すために大群で出陣したことをいいます。 |
その他、
- 平戸記より:1240年(延応2年・仁治元年)祇園の社にて百度詣り
- 吾妻鏡より:1241年(仁治2年)鶴ヶ岡にて北条氏が百度願
効果
自分の力ではどうすることもできず、切羽詰まった状態になっても、叶えたい願いごとがあるときにお百度参りします。どうしても叶えたいという思いで100回お参りするのですから、その願い事に対するエネルギーはすさまじく、効果も表われやすいといわれています。
効果が表われやすいと言っても、願う内容によっては取り返しの付かないことになってしまう可能性があるので注意するようにしましょう。お百度参りで効果があるのは、自分や大切な人の大病を治したいや志望校に受かりたいといった人の幸せを願う内容だといわれています。
しかし残念なことに、誰かを呪いたいときや好きな人をその恋人から奪いたいと言った、良くない気持ちで願いごとをしたいと考えてしまう人もいるようです。人を蹴落とさなければ叶わないような願い事は、まず叶うことはないでしょう。また人を呪わば穴二つというように、万が一人を蹴落とすような願い事が叶ったとしても、その後辛くなってしまう可能性もあります。そのような状況になって締まっては、元も子もありませんので、人を不幸にするような願い事をするのはやめておくようにしましょう。

祈り亀・御礼亀
人を蹴落としてまで好きな人を手に入れたいという内容ではなく、純粋に良いご縁を望むといった恋愛のお願いだったら、神様も聞いてあげたいと思ってくださるはずだよ。
お百度参りは同じ神社に100日間参拝することなんだよー