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六歌仙とは?どのような評価を受けた人たち?読み方や覚え方も解説

六歌仙とは?どのような評価を受けた人たち?読み方や覚え方も解説

古典の有名な六歌仙をご存じでしょうか。学生時代に暗記した!という人もいるでしょう。ここでは、六歌仙とはどのような評価を受けた人たちで、どのような人物だったのか、読み方や覚え方も合わせて解説します。是非、興味のある人は参考にしてみて下さい。

記事の目次

  1. 1.六歌仙とは?
  2. 2.六歌仙に選ばれた人はどんな人たち?
  3. 3.古今和歌集序文(仮名序)での六歌仙の評価とは?
  4. 4.六歌仙が詠んだ歌はどんな歌?
  5. 5.六歌仙なのに百人一首に選ばれなかった?
  6. 6.六歌仙の覚え方
  7. 7.まとめ

六歌仙とは?

六歌仙とは、平安時代の初期に和歌の名人として名をはせた6人の人物のことをいいます。その6人とは、在原業平(ありわらのなりひら)・僧正遍昭(そうじょうへんじょう)・喜撰(きせん)法師・大伴黒主(おおとものくろぬし)・文屋康秀(ふんやのやすひで)・小野小町(おののこまち)です。

かの有名な古今和歌集の序文(はしがき)に、この六歌仙の名前が挙げられています。古今和歌集には、明確に六歌仙と記入されていたわけではありませんが、6人の総称として現代まで和歌の名人として伝わっているのです。

六歌仙に選ばれた人はどんな人たち?

和歌の名人として六歌仙に選ばれた人たちは、どのような人たちだったのでしょうか。ここからは、六歌仙の人物をそれぞれ解説していきます。

僧正遍照(そうじょう へんじょう)

僧正遍昭(そうじょうへんじょう)は、平安時代の僧侶であり歌人です。遍昭とは僧侶としての名前で、本名は俗名良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といいます。桓武天皇の孫であり、元々位の高い人物でした。若年は左近衛少将として良少将の名で親しまれ、仁明天皇の蔵人頭を務めていましたが、仁明天皇が崩御された際に天台宗に帰依します。

以降、僧正遍昭として和歌を歌いました。僧侶としての修行中には、同じ六歌仙といわれる小野小町と清水寺で出会った際に、歌でやりとりをしたという逸話も残っています。

在原業平(ありわらのなりひら)

在原業平(ありわらのなりひら)は、平城天皇の孫です。美男であったと伝えられており、恋愛を題材とした歌物語である伊勢物語の主人公といわれている人物です。歌の才能にも恵まれ、情熱的かつ詠嘆な和歌が古今和歌集を始めとした、勅撰集(ちょくせんしゅう)にも多く残されています。

文屋康秀(ふんやのやすひで)

六歌仙のうちの1人として名をはせていますが、文屋康秀(ふんやのやすひで)の生涯や人物像として残されている情報は、あまり多くありません。在原業平(ありわらのなりひら)や僧正遍昭(そうじょうへんじょう)は位が高い人物であるのに比べて、文屋康秀は下級官吏だったといわれています。

2人と比べると位が低いとはいえ、別名を文琳(ぶんりん)とし、天武天皇の子孫です。生前は六歌仙のうちの1人である小野小町とも親交があり、三河掾(みかわのじょう)として三河国の地方官として派遣される際に、小野小町を誘った逸話が有名となっています。

喜撰法師(きせんほうし)

喜撰法師(きせんほうし)も六歌仙のうちの1人ではありますが、その生涯は不詳です。そのため、出家をして京都府の宇治に隠棲した後には、仙人になったともいわれています。

小野小町(おののこまち)

小野小町(おののこまち)は、六歌仙の中で最も有名な人物です。仁明・文徳の両天皇に仕えた美しい歌人といわれ、小野小町の作品は多くの謡曲(ようきょく)や歌舞伎の題材に使われています。しかし、正確な出自は不明で、謎の多き美女としても今日に名をはせていると言えるでしょう。

大友黒主(おおとものくろぬし)

大友黒主(おおとものくろぬし)の出自もほぼ不詳です。伝説的要素が強い人物として扱われ、謡曲・歌舞伎などの悪役としてよく登場しています。現在の滋賀県大津市に、大友黒主をご祭神として祀っている神社があるため、出身は近江国だったのではないかと考えられているそうです。

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