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天上天下唯我独尊の本当の意味とは?仏教との関連性や正しい意味など

天上天下唯我独尊の本当の意味とは?仏教との関連性や正しい意味など

天上天下唯我独尊とは、釈迦が生まれたときに七歩歩いて発した言葉です。「私たち人間は一人ひとりかけがえのない存在で、私たちにしか成し得ない尊い目的をもっている」という意味になります。本記事では天上天下唯我独尊の詳しい意味の解説と、関連する仏教の教えを紹介します。

記事の目次

  1. 1.天上天下唯我独尊とは
  2. 2.天上天下唯我独尊の意味
  3. 3.釈迦の誕生と天上天下唯我独尊のポーズ
  4. 4.天上天下唯我独尊の意味を紐解く仏教の基本概念
  5. 5.まとめ

天上天下唯我独尊とは

天上天下唯我独尊とは
Photo byjamie_nakamura

天上天下唯我独尊とは仏教の開祖・釈迦がこの世に生まれたときに一番最初に語ったとされる言葉です。「てんじょうてんげゆいがどくそん」または「てんじょうてんがゆいがどくそん」と読みます。

天上天下唯我独尊には「私たち人間は一人ひとりかけがえのない存在で、私たちにしか成し得ない尊い目的をもっている」といった意味が込められています。

生まれて七歩歩いて発した言葉

天下唯我独尊
釈迦の母は摩耶(マーヤ)夫人です。出産のため故郷に帰る途中に休憩をしていたルンビニーの園という花園で釈迦を生みます。

生まれた釈迦は東西南北の方向にそれぞれ七歩すすみ、右手で天を、左手で地を指しながら「天上天下唯我独尊」と宣言したと言われています。

一説には、もともと釈迦の生誕前に出世していた毘婆尸仏(びばし)という仏が生誕時に発した言葉だとされます。毘婆尸仏(びばし)の後に釈迦が生まれて、人々は釈迦の生誕を讃えたことから、「天上天下唯我独尊」は釈迦が発した言葉だとと伝えられています。

なぜ七歩歩いたかというと「七」と言う数字には「六」をひとつ超えた数字、すなわち仏教の輪廻転生の概念である
六道(天道、人道、修羅道、餓鬼道、畜生道、地獄道)をひとつ超越して解脱する存在であることを示しているからです。

天上天下唯我独尊の意味

天上天下唯我独尊の意味
Photo bynorca98

天下天下唯我独尊は「人間は誰も他の人と取りかえる事の出来ない独特な性質を持った存在である。すなわち人間はあるがままで尊い」という解釈が一般的で、諺としても知られています。

語句ごとに解説すると

  • 天上天下・・・天と地を越えて存在する世界・全宇宙。仏教では須弥山を中心にした一つの世界が千個×千個×千個という三千世界の概念がある。
  • 唯我・・・「我」は人間を指す。他の生き物ではなくただ私たち人間だけが、という意味。
  • 独尊・・・かけがえのない尊い目的。
これを踏まえて「私たち人間は一人ひとりかけがえのない存在で、私たちにしか成し得ない尊い目的をもっている」と読み解くことができます。

天上天下唯我独尊の後に続く句

釈迦が発した「天上天下唯我独尊」には続く句がありますが、その句は2通りの説があります。

一つは「天上天下唯我独尊 今茲而往生分已尽」(こんじにおうじょう ぶんいじん)です。もう一つは「天上天下唯我独尊 三界皆苦吾当安此」(さんがいかいく ごとうあんし)です。それぞれ記さている書が違い、句によって天上天下唯我独尊の持つ意味も微妙に異なります。
 

天上天下唯我独尊に続く句 記されている本 天上天下唯我独尊+意味
①今茲而往生分已尽 大唐西域記 この世に生まれてきたのは最後の生であり、再び迷いの世界に輪廻転生しない(生まれ変わらない)ためである。
②三界皆苦吾当安此 佛本行集経、修行本起経など 欲界・色界・無色界にいる衆生の心を満たして本当の満足に導くために生まれた。

①の「今茲而往生分已尽」では、釈迦が「今世で必ず解脱し、仏になる」という意志の表れと読み取れます。
②の「三界皆苦吾当安此」では、釈迦は人々を幸せに導くために生まれたという利他主義が主旨となっています。

釈迦が生まれた理由を自身で説明する部分が下の句に表されているといえるでしょう。

釈迦の誕生と天上天下唯我独尊のポーズ

生まれてから七歩歩いて釈迦が「天上天下唯我独尊」と宣言したときのポーズは、右手は上(天の上までを指す)、左手は下(地の下までを指す)に向けていました。

このほかにも釈迦のポーズはいくつかありますが、ここでは代表的なものを紹介します。

禅定印

禅定印,釈迦のポーズ

禅定印とは釈迦が瞑想に入った時に行う手のポーズです。

釈迦像が座禅をしている時に見られる有名なポーズで、左右の手のどちらを上にしているかで意味が変わります。

右手が下のポーズが教えを受ける事を表わし、左手が下のポーズは教える側を表わします。

説法印

釈迦が説法する時に行うのが説法印のポーズです。

釈迦は悟りを開いたのち人々に説法を説いたのですが、内容が難しくて理解されませんでした。それでも釈迦に説法をするよう説得した梵天のおかげで、初めての説法が行われたエピソードが『梵天歓請』に載っています。そして釈迦が初めて説法を行った時にとったポーズが説法印です。

施無畏印と与願印

釈迦のポーズに施無畏印(せむいいん)と与願印(よがんいん)があります。

手を上に向けているポーズを施無畏印と呼び、相手に対して楽をするようにすすめるポーズです。
手を下に向けるポーズの与願印は、望みをかなえてくれるという意味を表わします。

釈迦と会った人に気持ちをほぐしてもらい、その人に対して願いをかなえるという意味を持つのが施無畏印と与願印です。

天上天下唯我独尊の意味を紐解く仏教の基本概念

ここから天上天下唯我独尊を説いた釈迦の教え、仏教の知恵について解説していきます。

【仏教の教え.1】慈悲

仏教の教え,慈悲

慈悲とは普遍的に続く愛を指します。
もう少し踏み込んで解説すると、仏が心を配る4つの徳目に、四無量心(しむりょうしん)があります。無量心とは、限りのない心という意味のほかに、全ての人に対して平等に持つ心という意味も含まれます。

 

慈無量心 友愛の心で楽しみを与えて、相手の幸せを願う
悲無量心 同情心で苦しみを除いてあげる(抜苦)苦しみを分かち合う
喜無量心 相手に訪れた幸せを妬むことなく一緒に喜ぶ
捨無量心 執着心を捨て、動揺せずに平静でいる


この無量心の「慈」と「悲」をあわせて慈悲になります。
天と地を指して天上天下唯我独尊と言った言葉の裏には、慈悲の言葉との関連性も考えられるのです。

【仏教の教え.2】一切皆苦

仏教の開祖釈迦はこの世は自分の思い通りにはいかないという「一切皆苦」(いっさいかいく)を教えています。

仏教における「苦」とは、思い通りにならない苦しみを指し、釈迦が説かれた苦の中には「四苦八苦」という意味が込められているのです。

<四苦八苦>

1 人間は生きている時点で肉体や精神的な苦しみを避けられない
2 人間は必ず老いていく。老いると心身共に弱くなり体が自由に動かなくなる苦しみ
3 病気にかかることで起きる肉体、精神的な苦しみ
4 人間は死を避けられない。死に対する不安や苦しみ
5 愛別離苦(あいべつりく) 愛する人といずれかは別れが訪れる苦しみ
6 怨憎会苦(おんぞうえく) 憎んでいる人とも会わなければならない苦しみ
7 求不得苦(ぐふとくく) 欲しいものが手に入らない苦しみ
8 五蘊盛苦(ごうんじょうく) 人間の体と精神が思うままにならない苦しみ

以上の8つの苦しみを合わせて四苦八苦と言います。これらの苦しみは人間が避ける事の出来ない苦しみでもあります。
ではどうして人間は四苦八苦に直面してしまうのでしょうか?

釈迦は四苦八苦の理由を、諸行無常、諸行無我、涅槃静寂という言葉で説明しました。

【仏教の教え.3】諸行無常

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諸行無常とは「万物はすべて一つの場所にとどまる事はなく、常に移り変わる」という意味です。

平家物語の有名な冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 」にも記されています。


人間は自分の体や持ち物、財産や人間関係など永遠に変わらずにあってほしいと考えてしまう生き物です。しかし仏教ではこれら人間の変わらずにいてほしいという思いは「執着」に繋がると考えます。何かに執着を持った人間は、それを失う事を恐れますが物事は諸行無常で移り変わっていきます。

執着から離れられない人はやがて苦しむことになります。人が執着にとらわれないためには、万物は常に移り変わるという諸行無常の教えを知ることが大切になってきます。

【仏教の教え.4】諸行無我

諸行無我とは万物は他のものとの関係性によって成り立っており、他からの影響なくして何も存在することはできないということを意味します。

人間は自らの体や持ち物などを自分が所有していると考えます。一方自然界は太陽や海、植物や動物などがお互いに関連し合うことで初めて成り立ちます。人間も自然もこの世にあるものは全て関連性の中で存在しているので、他の存在のおかげで自分の命もあるという教えです。

つまり諸行無我は人間は自分ひとりで生きているのではなく、様々なものとの関係性の中で生かされているという真理を説いています。

【仏教の教え.5】涅槃寂静

諸行無常や諸行無我が教えている真理を理解し、あらゆる煩悩から解放された世界が「涅槃」です。また煩悩から解放されたゆるぎない安らぎの境地を「寂静」と言います。

つまり涅槃寂静は苦しみを全て乗り越えた先の悟り境地を意味します。仏教の教えでは、全ては移り変わり万物との関係性から自分が存在しているので、外部の出来事に動じない心が大切になります。

【仏教の教え.6】四諦

仏教の教え,四諦

四諦(したい)とは四苦八苦を乗り越えるための真理です。
四諦は以下のように教えられています。

四諦の種類 説かれる真理 四諦に因る状態
苦諦(くたい) 人間の生は苦しみであるという真理 一切皆苦
集諦(じったい) 苦しみの原因は人の心の在り方にあるという真理 十二因縁
滅諦(めったい) 一切の苦しみから解放された境地、苦の滅の真理 涅槃寂静
道諦(どうたい) 滅諦を実現する真理 八正道

すなわち滅諦という真理にいきつくには、苦しみを滅却する道諦・八正道を実践しなければなりません。

【仏教の教え.7】八正道

八正道とは涅槃という悟りの境地へ到達するための、8個からなる徳目です。

  • 正見(しょうけん)⇒正しく対象を見ること
  • 正思(しょうしゆい)⇒正しく考えること
  • 正語(しょうご)⇒正しく対象を語ること
  • 正業(しょうごう)⇒正しく行うこと
  • 正命(しょうみょう)⇒正しく生きること
  • 正精進(しょうしょうじん)⇒正しく精進努力すること
  • 正念(しょうねん)⇒正しく念を集中すること
  • 正定(しょうじょう)⇒正しく心を定めること

八正道にある正しさとは、真理に合致し調和のとれた思考や生き方を指します。
人間は自己中心的に物事を考え、悪いことが起こると周りのせいにする「小我」にとらわれる事もあるでしょう。釈迦はこのような自分本位な考え方が苦しみの元になるので、より大きな視点から物事を見て判断することが大切だと教えています。

また仏教では現生を生きる上で見えてくる「差別的な見方」と、現象にとらわれない「平等な見方」の二つが存在します。現世的な比較の中で見えてくる世界にも、そうなるための原因が存在し、無視する事はできないのです。よって釈迦が説くように正しく物事を見るためには、差別的であり同時に平等な見方が必要です。

仏教ではこのような見方を中道と呼びます。中道とは、時々の状況に一番適した見方、とらえ方をするということです。仏教の中道は法華経における「妙」でもあります。

【仏教の教え.8】五戒

五戒とは男女とも仏教における在家の信者に与えられた5つの教えのことです。

  1. 不殺生戒(ふせっしょうかい)⇒生物を殺してはいけないこと
  2. 不楡盗戒(ふちゅうとうかい)⇒人の物を盗まないこと
  3. 不邪姦淫(ふじゃいんかい)⇒道に反した淫らな行為をしないこと
  4. 不妄語戒(ふもうごかい)⇒嘘をついてはいけないこと
  5. 不飲酒戒(ふおんじゅかい)⇒酒におぼれてはいけないこと
五戒は死後に地獄へ行かないための約束事であり、1つでも破った時は地獄へ行くことになると釈迦は説きました。

【仏教の教え.9】陰陽の調和

太陽や月、男と女、空と大地のように、万物は相対するもの同士が存在することで調和が取れています。世の中にあるすべては陰陽のように異なるもの同士が補い合って存在します。釈迦の教えの八正道が陽ならば、五戒は陰と言えます。

万物は異なる者同士が絶妙なバランスで配置されることで成り立っていると説いているのです。

【仏教の教え.10】八正道と五戒の両方を実践する

釈迦の教えた八正道は人間がこの世で正しく生きるにはどうしたら良いかが説かれています。一方五戒は、人が生きる中でしてはいけない事を教えています。

どちらも生きていくうえで大切な事であり、真理をついた教えです。五戒を守っていれば罪にはなりませんが、それだけでは幸せな人生を歩むことはできないでしょう。五戒と同時に八正道八正道を実践することでより良い人生を作っていくことが出来ると考えられています。
 

まとめ

天上天下唯我独尊

釈迦が説いている天上天下唯我独尊は、人はあるがままで貴重な存在だということを教えています。人は他者との比較の中で自分を判断し、落ち込んだり喜んだりすることもあります。

天上天下唯我独尊の言葉はどんな社会の中でも、「そのままの自分だからこそ尊い」ことを気づかせてくれます。天上天下唯我独尊の本当の意味を知ることにより、周りとの比較ではなくこの宇宙でただ一人自分という固有な存在に感謝する心が生まれます。そしてそれは人生を歩むときの心強い精神的な支えになってくれるのではないでしょうか。

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