禅問答(公案)とは?その意味を例を挙げて解説!禅問答から人生のヒントを得よう!

禅問答と公案
禅問答と公案
仏教

禅の公案から人生のヒントを学ぶ

禅問答と言えば、訳のわからない答えであることが多いですよね?

答えはすでにあると言われても、その答え自体が訳がわからない。

考えれば考える程、深みにはまってしまい、ますます意味がわからなくなる。

そんな経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか?

禅問答の意味がわかるようになるには、やはり修行が必要ということなのかも知れません。

論語もそうですが、悪く言えば「こじつけ」良く言えば「臨機応変」とも言えます。

禅問答も似たようなイメージがありますね。

禅問答(公案)とは

禅問答(公案)

禅問答(公案)

禅問答の公案は、沢山数がありますが、その中でも一番有名な公案が「両手で手を叩いたら、パンと音がする。では片手ならどんな音がするのか?」ですね。

挨拶代わりに、この禅問答の公案に対して矢継ぎ早に質問がかぶせられます。

「片手の音がしたなら、その証拠を見せてみろ。」や「富士山のてっぺんにある片手はどのようなものだ?」などです。

こんな質問を出されたら、ますます考え込んでしまいますよね?

ちなみに、片手の音の回答例は、音を出すことに拘らず「片手をそのまま差し出す」と言うのが模範解答らしいです。

あるがままの存在を示すと言うのが、正しい答えなんですね。

 

話はそれますが、昔一休さんのアニメで、和尚がとんち好きの一休さんを懲らしめるために「門をどうにかして開かせてみろ。」と言います。

一休さんはとんちを活かして、何とかして開門をさせようと試みますが、一向に門は開きません。

とうとう一休さんは泣きだし、「和尚様、どうか開けて下さい。」と言うと、初めて門は開かれます。

禅問答も似たような所があるのではないでしょうか?

とんちなどを使わず、あるがままの自然の姿を示すこと。

これこそが、禅問答でも模範と言われる回答なのでは?と思い出します。

禅問答の誕生

禅問答の誕生

禅問答の誕生

禅問答の誕生は、記録には残っていませんが、かなり昔から始まっていたそうです。

「師と弟子の間でやり取りされる悟りに関する言葉のやりとり」が禅問答の始まりですが、悟りの道を開くには、会話なども重要な意味を持っていたんですね。

一番古い禅問答としては、仏教の開祖であるブッダの言葉のやり取りなどが挙げられます。

ブッダに関する書籍などを見てみると、ブッダは様々な質問を弟子に投げかけます。

一番弟子のアナンダでさえ、ブッダの質問に的確に答えられることは少なかったそうです。

ブッダの最初の話は、鹿に聞かせることから始まりました。

菩提樹の木の下で悟りを開いたブッダは、様々な質問の中から、弟子に真理を教えていたんですね。

 

ただ、禅問答が「禅宗における問答」と考えるなら、そんなに時代は古くはありません。

「景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)」が編纂されたことで、禅問答は脚光を浴びますが、現代においても、その答えはわからない人が多いです。

ですが、980年、雪竇重顕(せっちょう・じゅうけん)が記した「雪竇頌古」では、景徳伝灯録をヒントに、禅問答を形にしたとされています。

答えがあるようでいてない。

そんな禅問答が意味するのは「考えないこと」なのかも知れません。

禅問答がまとめられた公案集について

禅問答がまとめられた公案集

禅問答がまとめられた公案集

禅問答が何を意味するかを知るには、公案集を見るのが一番の近道でしょう。

ただ、その公案集も最初は文章化されていませんでした。

と言うのも、禅宗はそもそもが経典などを持たない仏教だったからです。

書物などに教えを残していないからこそ、自分達のアイデンティを弟子に教えることが出来ず、それが禅問答に繋がっていたのだと推測されます。

結果禅宗では、経典がない代わりに「伝灯(でんとう)」を重視するようになります。

伝灯の意味する所は、仏教の成り立ちを示すことで、禅宗の教えが正しいと証明するための物でした。

ある意味系譜とも言える伝灯は、系譜だけに留まらず、僧侶たちの思想や言動までもが記されるようになります。

口伝とはまた違う独特の教えが、禅問答という形を取って弟子達にも広まっていったんですね。