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草薙剣とは?天照大神から下された三種の神器の一つについて解説!

草薙剣とは?天照大神から下された三種の神器の一つについて解説!

草薙剣と言えば、日本書紀や古事記を読んだことのある方にはなじみ深いミステリーの一つです。アマテラスオオミカミからニニギに託されたという草薙剣を含む三種の神器ですが、特に謎が多いのが草薙剣です。二振りあった説や本物はすでに海の中という説などもあり、未だに謎は解明されていません。

    草薙剣は実在するか

    平安時代の神道資料『古語拾遺』によれば、第10代・崇神天皇(すじん天皇)が神威を恐れたことから形代(かたしろ・レプリカのこと)が作られ、オリジナルは伊勢へ祀られたとされます。宮中にあるのは形代という、本物から分祀されて神の力が宿ったレプリカということです。

    ヤマトタケルが用いた剣は伊勢にあった本物の草薙剣だとされており、形代(レプリカ)のほうは壇ノ浦の戦いで海に沈んだといわれています

    そして行方知れずとなった形代の草薙剣の代用品として、第84代順徳天皇が即位した際に伊勢神宮から贈答された剣を新たな宝剣としました。これが現在宮中にある草薙剣(天叢雲剣)です。

    草薙剣は壇ノ浦で一度失われた

    壇ノ浦の戦い

    草薙剣の形代の方は、1185年・壇ノ浦の戦いの際に開聞海峡に沈んで無くなったといわれています。

    平氏は自分たちの天皇との関りを正当化するために、天皇と三種の神器を持ち出して都落ちします。源義経はこの三種の神器を奪還すべく戦に臨みます。そして源平合戦の最後の戦い・壇ノ浦の戦いにて負けを悟った二位尼(平時子)は草薙剣を携え、当時数え年8歳の安徳天皇を抱えて入水します。そのため、草薙剣が海に吸い込まれていったのです。

    大捜索しても見つからなかった

    壇ノ浦で平家を滅ぼした義経ですが、草薙剣を回収しきれなかったことで兄の頼朝の怒りを買います。この事件を含め不興を招いた義経は、ついには兄の手によって滅ぼされてしまいます。

    頼朝は優秀な海女たちに海に落ちた草薙剣を探させますが見つかりません。高僧たちにも祈願させ、陰陽道による占いにも頼りましたが「安徳天皇がヤマタノオロチの化身だったため、草薙剣を取り返して海に持って行った」と告げられ、とうとう草薙剣は見つかることはなかったのです。

    草薙剣の本物は熱田神宮に実在する?

    実在している草薙剣が本物かどうかを確かめることは不可能だといいます。

    なぜなら、天皇でさえ見ることができないからです。神職者を含め、誰も見ることはできません。草薙健を目にすると、見た当人だけでなく周囲の人々にも災いが降りかかると伝えられています。そのため一般公開される予定も今のところありません。


    ただ宮中にあるものが形代の草薙剣であるならば、熱田神宮にある草薙健は本物かもしれませんが、それは”神のみぞ知る”ことでしょう。もし熱田神宮の物が本物の草薙剣ならば、大事な剣が現世まで残っていることになり嬉しい事実でもありますね。

    草薙剣は曰(いわ)くつきの剣だった

    ・盗難事件(飛鳥時代)・・・第38代天智天皇が即位していたとき、道行という層が草薙剣を盗んで朝鮮半島のほうに逃げようとします。しかし、剣が意思をもって飛んで帰ってきたり、海に持ち出すと船が難破したりなどの不思議な力が働いたため草薙剣は日本に戻ってきました。なお、難破の際に道行が剣を投げ捨てようとしますが、道行の体に張り付いて取ることが出来なかったそうです。

    ・祟り(飛鳥時代)・・・第39代天武天皇は、上記のいきさつがあっても草薙剣を熱田神宮にかえそうとしませんでした。病に倒れたときに占いによって「草薙剣の祟りだ」と言われて熱田神宮にかえしたのですが、崩御されました。

    ・盗難事件再び(南北朝時代)・・・北朝と南朝という二つの朝廷がたち、王立が完全分権になります。皇位の正当性をどちらも主張していましたが、当時三種の神器を持っていたのは北朝側だったため、南朝側は偽物を造ったといわれています。しかも南朝が衰退後に勢力を持った後南朝が草薙の剣と八尺瓊勾玉を盗み出します。この事件は禁闕の変(きんけつのへん)と呼ばれます。

    ・祟り再び(江戸時代)・・・熱田神宮の改修工事の際、草薙剣を見ようとした神職者たちが次々と亡くなっていきました。

    神主さん

    神主さん

    草薙剣を見た人がいるという記述も文献にはあります。

    江戸時代の『玉籖集』では、熱田神宮の氏族が見たとされており、草薙剣の長さは2尺7、8寸(81〜84cm)ほどで柄の方の6寸(約18cm)。筋は魚の骨のようだったとのことです。そして全体に白い色だったと記されています。

    一方、熱田の尾張連(おわりむらじ)家の言い伝えでは長さは1尺8寸(約54cm)ほどで、鎬(しのぎ)はあるものの横手(切先と刀身の境界線)はなかったそうです。そして柄には5つの節があったとされます。

    しかし、上述のように誰も見られる人はいない、もしくは見ようとしたら祟りに遭うことを考えると、本当に草薙剣を見たのかどうかも不確かであると言えるでしょう。

    まとめ

    日本書紀や古事記の世界には、世界四大文明とはまた違ったミステリーと浪漫があります。不思議な魅力と浪漫の固まりでもある草薙剣ですので、謎は謎のままが良いかもしれません。

    三種の神器を含め、今に受け継がれている言い伝えのもととなっている日本神話を紐解いてみて、魂のルーツを探るのも一興です。

     

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