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因果一如とは?禅の言葉、因果一如の意味とその考え方について解説!

因果一如とは
因果一如とは
仏教

因果一如とは

因果一如とは

因果一如とは

因果一如』という言葉をご存知でしょうか?

因果一如』とは禅の言葉で、「原因と結果は一緒」、「結果はすでに原因と一緒に生まれているという意味を表わす言葉です。

因果一如の詳しい意味について

因果一如の意味

因果一如の意味

では、因果一如とはどういう言葉なのか、更に詳しく見ていきましょう。

因果一如』とはもともとは江戸時代を生きた臨済宗中興の祖、白隠禅師の言葉です。白隠禅師は禅の修行を体系化した人でもあります。『坐禅和讃』の中で彼ははこう詠っています。

因果一如の門開け 無二無三の道直し 無相の相を相として往くも帰るも余所ならず

その解釈ですが、まず「」は原因を指し、「」は結果を指します。「門開け」というのは、原因と結果の間に壁はなくなり、代わりにそこには互いに通じる門ができるという意味を表わします。そして、「無二無三の道直し」とは、それが一本の道となってどこまでも通じているということです。「無相の相を相として」とは、真実には 本来 決まった形がないことを表わし、「往くも帰るも余所ならず」とは、どこに行っても心から安らげるという意味を表わします。

要するに、「我々はつい結果ばかり気にしてしまうものですが、原因と結果は本来一つで分けられないものなのです。そのことを意識しなさい。因果一如を自覚した門の先には、二つも三つも道があるのではなく、まっすぐなただ一つの道がどこまでも通じているのです。だからただ一つある道を精一杯生きなさい。確実にこうなるだろうと言い切れるものは何もないのです。そのことがわかったらどこへ行こうとも、もう迷わないでそこに安らぎを見出すのです。」という解釈ができます。

つまり、因果一如とは、原因と結果は一つであり、「」と「」に区別はない。原因があって結果が生まれるというのではなく、結果はすでに原因と一緒に生まれているという意味を表わす言葉なのです。

禅の言葉、因果一如と因果応報

因果一如と因果応報

因果一如と因果応報

『因果一如』は、原因と結果は同じである、という考え方ですが、それに対して、同じ禅の言葉に、『因果応報』という言葉があります。これは、「良いことをすれば良い結果になり、悪いことをすれば悪い結果になる。自分に来る結果のすべては自分の行いに原因がある」という考え方です。つまり、「因果応報」とは、良い悪いにかかわらず、原因に応じた結果を受けるという意味の言葉です。結果も大切ですが、それ以上に原因に注目する考え方なのです。

現代社会において、私たちは無意識のうちに、因果応報の考え方で物事をとらえることが多いのではないでしょうか?

人はそれぞれの人生において努力をしていることがあると思います。それは勉強だったり仕事だったりスポーツだったり。今よりももっと上を目指して、良くなるために誰しも努力をしているのではないでしょうか。もちろん、努力をすることは素晴らしいことで、それに対して結果を求めるというのは当たり前のことではあると思います。

しかし、努力は必ずしも報われるものでしょうか?いくら一生懸命努力しても試験に合格できなかったり、大会で思うような結果が出せないこともあります。いくら頑張っても仕事で成果を出せずにその結果に一喜一憂することもあります。

そんなとき私たちは「なんでこんなに頑張ったのに報われないんだ」という虚しい気持ちになるかもしれません。これを因果応報の考え方と結び付ければ、頑張っても結果が出ないのは、本人の努力が足りないからだ、ということになるのではないでしょうか。確かに世の中の多くのことは因果応報の法則にしたがって成り立っている、ということも言えるでしょう。しかしすべてがそうでは無いのも事実なのです。